義民のあしあと

義民のあしあと

江戸時代の一揆の件数と性質

江戸時代に発生した百姓一揆の件数は、『百姓一揆総合年表』によれば3,000件以上に達するとされています。
一揆の件数は「享保の改革」が行われた享保年間以降、特に享保の飢饉・天明の飢饉・天保の飢饉といった「江戸三大飢饉」の後に増加し、慶応2年(1866)にピークを迎えています。

百姓一揆とひとことで言っても、江戸時代前期の17世紀には庄屋などの村役人が村を代表して領主に村の窮状を直訴する「代表越訴型一揆」、中期の18世紀には村人すべて、あるいは複数の村が協力して領主に対して年貢減免を強訴する「惣百姓一揆」、後期の19世紀になると社会全体の変革を目指して本百姓・水呑百姓らが村役人と領主の双方に強訴・打毀しで対抗する「世直し一揆」と、時期によってそれぞれ性質が異なるといわれています。
もっとも、地域性による違いはありますので、これが絶対的な分類というわけではありません。



お知らせ

百姓一揆義民年表について

近世を中心とした歴史的に重要な出来事、百姓一揆やその顛末を編年でまとめた百姓一揆義民年表のページを作成しております。年表内のリンクをクリックすると、その出来事にゆかりのある義民を紹介するページにジャンプします。


写真の掲載について

このウェブサイトで紹介している義民伝承地は、その性質上、墓地や刑場の跡地なども多く、これまで積極的に写真を公開しておりませんでした。しかし写真がなく現地の様子がわかりにくいとのご指摘もあるため、今後は関連する写真を掲載することといたしました。複数の写真を掲載している場合は、該当のページをリロード(更新)すると無作為に表示されます。なお、システムの都合上、大量の写真を一度にアップロードすることができませんので、準備ができたものから順次掲載する予定です。


本郷村善九郎の手紙について

ご要望のあった大原騒動の本郷村善九郎の手紙(遺書)の原文と現代語訳を掲載しました。市町村史などを見ても活字で掲載されている原文の内容がまちまちなため、手紙の写真から改めて読み解きましたので、多少の誤りはご容赦ください。


掲載箇所地図について

このサイトに掲載されている義民関連の遺跡を地理院地図に落とし込んだ「義民のあしあと」掲載箇所地図を作成しました。拡大やスクロールが可能です。それぞれのページ本文にある地図とあわせてご覧ください。


義民に関する言い伝え・ゆかりの場所


日本のお寺・神社 絶壁建築めぐり
飯沼義弥 (著), 渋谷申博 (監修)
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