高梨利右衛門

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義民伝承のある場所の概要

出羽国置賜郡屋代郷(いまの山形県高畠町、米沢市の一部)は米沢藩の預かり地となっていたところ、年貢の取り立てが厳しく百姓の煩いとなっていたため、寛文6年(1666年)、二井宿の肝煎であった高梨利右衛門が幕府に直訴し、元禄元年(1688年)、越訴の罪で磔にされたといいます。罪人の高梨利右衛門を供養するには憚りがあるため、死後「極重悪人」と刻んだ念仏供養塔が建てられました。また、事件のほとぼりが覚めた死後140年にあたる文政10年(1828年)には、二井宿の地に「大酬恩碑」も建てられました。


 極重悪人碑(亀岡文殊堂)の所在地や地図は次のとおりです。

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名称 極重悪人碑(亀岡文殊堂)
所在地 山形県東置賜郡高畠町亀岡4028-1
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備考 「極重悪人碑」は亀岡文殊堂の入口の石段脇にあります。「大酬恩碑」は高畠町立二井宿小学校の校庭の中に入るので注意が必要です。
  • 「備考」欄に特定の場所の緯度・経度が記載されている場合には、検索ボックスにその値をコピーして入力(例えば「35.689634, 139.692101」と入力)すれば、該当する場所の地図が表示されます。
  • 地元の伝承が歴史的事実とは異なるとみられる場合もあえてそのまま記載することがあります。


解説

徳川家康による上杉征伐が関が原の戦いの端緒になったことからもわかるように、米沢藩上杉家は江戸時代には複雑な立場に置かれていました。
ことに、米沢藩の3代藩主・上杉綱勝が跡継ぎもないまま死去すると、米沢藩は無嗣断絶の危機に陥りました。
その際には会津藩主・保科正之の尽力により、「忠臣蔵」の敵役として有名な吉良上野介義央の子・綱憲を末期養子に迎えることで、なんとかお家取り潰しは免れたものの、30万石から15万石に減封されてしまいました。

この苦境を乗り切るため、4代藩主・上杉綱憲の時代には、幕府直轄地の出羽国置賜郡屋代郷(いまの山形県高畠町、米沢市の一部)3万7千石を預地として管理することを幕府に願い出て認められました。
米沢藩ではこの屋代郷から重税を取り立てるとともに、専売制を強化して、農民が勝手に他所に物を売ることを禁じたため、百姓の暮らしはますます疲弊するようになりました。

このため、寛文6年(1666年)、屋代郷二井宿村の肝煎であった高梨利右衛門(たかなしりえもん、別名を島津利右衛門)は、屋代郷35か村を代表し、藩の失政などを62か条にわたり列挙した「謹んで言上奉り候」からはじまる嘆願書を認めて信夫代官所に提出しました(「信夫目安事件」と呼ぶ)。

しかし、代官所への嘆願では埒が明かなかったことから、江戸に出て幕府への直訴を試みたものの、越訴の罪により、元禄元年(1688年)、一の坂の処刑場(高畠町二井宿地内の峠)で磔にされたといいます。
高梨利右衛門は直訴をするにあたり、蒔絵の三葉葵の紋所が入った箱をつくらせ、これに訴状を収めて上野の寛永寺前の茶店に置いておき、公儀の忘れ物を装って、茶店から奉行所に届けさせるという知略を用いたという伝説が残っています。

こうして高梨利右衛門は亡くなったものの、屋代郷は元禄2年(1689年)、米沢藩の支配から脱し、幕府直轄地に戻ったことから、地元では彼を義民として大いに感謝しました。
この時代に高梨利右衛門をあからさまに顕彰するのは憚りがあることから、一の坂刑場には名前を記さない無地の墓を建て、あわせて亀岡文殊堂に「南無阿弥陀仏」と表面に大書するとともに、横に「極重悪人」とあえて刻んだ念仏供養塔を建てて、菩提を弔ったとされています。

また、事件のほとぼりが覚めた没後140年にあたる文政10年(1828年)には、高畠出身の郷士で儒学者であった武田孫兵衛(武田鳥海山人、鳥海先生)の揮毫による、巨大な「大酬恩碑」と呼ばれる記念碑が二井宿に建てられました。
しかし、初代の「大酬恩碑」は江戸時代末期の「屋代郷文久騒動」にともない幕吏によって破却され、その後も歴史に翻弄されて再建されたり撤去されたりといった紆余曲折を経ながら、現在は高畠町立二井宿小学校の校庭の東側にあります。
この「大酬恩碑」は、文字どおり草書体で表面いっぱいに「酬恩碑」と書かれた高さ5メートルほどのもので、凝灰岩でできたものとしては日本でも最大級であり、高畠町の文化財に指定されています。

なお、屋代郷で米沢藩の苛斂誅求をめぐる百姓の嘆願があったことは事実ながら、年代的に高梨利右衛門のいた時代とは合わず、このような伝説は史実とは相違するといった説もあります。
また、亀岡文殊堂の碑文にある「極重悪人」というのも、実は浄土真宗の宗祖である親鸞聖人が「悪人正機説」を説いた『教行信証』にある「正信偈」の一文「極重悪人唯称仏」をとったものです。


参考文献

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リンクがなく書誌情報(リンク先のページ下部にISBNコード、発行年、出版社などが明示されている)がわからない参考資料は、一般書店で取り扱っていない稀覯本や内部配布物ですが、国立国会図書館で貸出対応をしている可能性があります。

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