義民のあしあと

山中一揆義民(川上村田部堂)

山中一揆義民の一人・社田(こそだ)の治郎兵衛を供養する「刃」の戒名が付いた「社田義民の墓」


「川上村田部堂」(田部義民の墓)には、郡上一揆、三閉一揆と並ぶ「江戸三大一揆」のひとつである山中一揆において処刑された西茅部出身者20人の墓があります。もとは別々の場所にあったものを集めたといい、田部堂のわきに石造の地蔵像が並んでいます。真庭市の指定重要文化財です。


義民伝承の内容と背景

山中(さんちゅう)一揆は、郡上一揆、三閉一揆と並ぶ「江戸三大一揆」のひとつとされる大々的な犠牲者を出した百姓一揆で、享保11年(1726)から翌年正月にかけて、美作国津山藩の山中地区で起きたできごとです。

当時の津山藩では財政の逼迫に対応すべく、久保新平を勘定奉行として年貢増徴を図っていましたが、当主の松平浅五郎が夭折し、末期養子を迎えて藩の存続を図ったものの、石高が10万石から5万石に減封されてしまいました。

このため、幕府に取り上げられる前に年貢米を大坂に回送して換金しようと、久世町の郷蔵から年貢米の運び出しをしたものの、地元の百姓に見つかり、これがきっかけで一揆が勃発しました。

百姓らは運び出された米俵を差し押さえるとともに、大庄屋宅などを打ちこわしてまわったため、藩の役人が派遣され、交渉により年貢減免や増税撤回が認められるとともに、責任者として久保新平も罷免され、いったんこの件は終息しかけました。

ところが、津山藩領から天領になることを見越した山中地方の百姓は、納め過ぎた年貢の返還を求めて一揆を激化させたため、翌年正月、山中地方に鉄砲や大砲で武装した藩士らが鎮圧隊として送り込まれ、その途上で捕らえられた百姓らが新庄村今井河原などで斬首され、首は峠道に晒されました。

土居村(いまの真庭市禾津)では百姓一揆の首謀者として牧の徳右衛門らが捕らえられ、残りの百姓らの集団も瓦解して、一揆は終わりを告げましたが、事件後の処理として、徳右衛門は津山城下を引き回しの上、院庄滑川刑場において磔刑となったほか、処刑された百姓らは51名にも及ぶ惨事となりました。

このような山中一揆の顛末から、のちに地元の人々によって、徳右衛門御前、大林寺妙典塚、首なし地蔵、社田の義民の墓などといった、犠牲者らを供養するための墓や供養塔が各地に造立されたほか、事件の記録も多数つくられています。


川上村田部堂へのアクセス

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文中に緯度・経度の記載がある場合は、値(例えば「35.689634, 139.692101」)をコピーして検索すれば、その場所の地図(Googleマップ)が表示されます。

名称

川上村田部堂 [参考リンク]

場所

真庭市蒜山西茅部
(この地図の緯度・経度:35.268666, 133.641444)

備考

真庭市蒜山西茅部の「田部義民の墓」は、土居河原で処刑された西茅部村を中心とする農民20人を供養するもので、「田部堂」の脇にあります。当初からこの場所にあったのではなく、後になって他所から集められたといいます。
道路沿いに史跡を示す小さな看板が立っており、看板脇の階段を上った高台に「田部堂」があります。駐車場は特にありませんが、堂の真下は自動車2、3台分の広い路側帯となっています。


真庭市蒜山西茅部の「社田(こそだ)義民の墓」(35.27348, 133.63795)は、山中一揆義民の一人である社田の治郎兵衛を供養する墓です。戒名に通常は使わない「刃」の文字が付いています。この「社田義民の墓」は、「田部義民の墓」の北北西、直線距離で600メートルほどの墓地内にあり、真庭市指定文化財を示す標柱や解説板が建てられています。


真庭市黒杭の「大林寺妙典塚」(35.237,133.6897)は、山中一揆で処刑された51名を密かに供養するため、一石一字塔に擬えて建立された供養塔です。真庭市黒杭289所在の大林寺駐車場に隣接するひな壇上に、湯原町教育委員会の解説板とともに建てられています。


真庭市禾津の「山中一揆義民之碑」(35.1676, 133.7303)は、山中一揆の指導者である牧の徳右衛門が捕らえられた「柿の木坂」付近に昭和57年に建てられた記念碑で、すぐ脇に犠牲者の名を刻んだ慰霊碑があります。国道313号から真庭市湯原温泉スポーツ公園に入るアクセス道路沿いにあります。


真庭市仲間の「徳右衛門御前崎(みさき)」(35.16375, 133.72785)は、嘉永年間に近隣の庄屋らによって造立された、山中一揆の指導者・池田徳右衛門を祀る供養碑です。「山中一揆義民之碑」から500メートルほど南の国道313号沿いに解説板とともにあります。


真庭市見尾の「義民樋口弥次郎碑」(35.12915, 133.70865)は、山中一揆で磔刑に処せられた弥次郎を顕彰するため大正時代に建てられた記念碑です。「徳右衛門御前崎」から国道313号を南へ4キロ以上そのまま進んだ上で枝道に入る必要がありますが、国道沿いに「山中一揆義民弥次郎生誕の地と弥次郎獄」の看板が出ています。「義民樋口弥次郎碑」は見尾公民館の隣にあたります。


津山市二宮の「首無し地蔵」(35.05889, 133.96258)は、院庄滑川刑場で処刑された山中一揆の首謀者6人を供養するため建てられたものです。院庄駅から東に500メートルほど離れた吉井川北側堤防沿いの道路の脇に地蔵堂があり、解説板なども掲げられています。




参考文献

リンク先のAmazonのページ下部に書誌情報(ISBN・著者・発行年・出版社など)があります。リンクなしは稀覯本や私家本ですが、国立国会図書館で借りられる場合があります。

中国地方 山中一揆義民 山中一揆