佐藤太郎右衛門(義民太郎右衛門霊堂)
享保14年(1729)、年貢増徴に苦しんだ百姓らが代官所への強訴、福島藩への越訴をし、さらに佐原村の名主・佐藤太郎右衛門(地名をとって佐原(さばら)太郎右衛門ともいう)が代表として江戸に向かい、目安箱に直訴しようとしたものの捕らえられ、翌年に佐原荒田口で打首獄門となりました。太郎右衛門の墓所の近くには、その霊をなぐさめるための霊堂が建っています。
義民伝承の内容と背景
なお、同じ地方で違う年代に一揆が起きているため、この名称が使われている一揆は複数あります。
すなわち、信達地方68か村の年貢減免を求めて百姓らが代官所に強訴するとともに、福島藩・二本松藩にも越訴をしますが、その首謀者として捕らえられた立子山村の忠治郎、小左衛門の両名は死罪となり、立子山の疣石峠に晒し首にされました。
佐原村の佐藤太郎右衛門は、百姓の代表として江戸に上り、評定所目安箱への投書(箱訴)をして本人不在のまま追放刑となっていますが、なおも江戸に潜伏していた最中に捕縛され、翌年に佐原荒田口(現在のあづま総合運動公園) で同様に打首獄門となりました。
この太郎右衛門の墓所の近くには、その霊をなぐさめるための霊堂が建っています。
義民太郎右衛門霊堂へのアクセス
文中に緯度・経度の記載がある場合は、値(例えば「35.689634, 139.692101」)をコピーして検索すれば、その場所の地図(Googleマップ)が表示されます。
名称
- 義民太郎右衛門霊堂 [参考リンク]
場所
- 福島県福島市佐原西手城森地内
(この地図の緯度・経度:37.7059, 140.3487) 備考
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「義民太郎右衛門霊堂」は、東北電力荒川発電所の近くの山中にあります。公道からの入口にあたる場所に「義民太郎右衛門霊堂と墓所入口」の看板が出ていますので、ここから山道を数分ほど登ります。
「義民太郎右衛門終焉の地石碑」(37.7260, 140.3624)は、あずま総合運動公園の北端にあたる交差点付近にあります。
参考文献
リンク先のAmazonのページ下部に書誌情報(ISBN・著者・発行年・出版社など)があります。リンクなしは稀覯本や私家本ですが、国立国会図書館で借りられる場合があります。