義民のあしあと

畑中喜右衛門




義民伝承地の概要

江戸時代に氾濫を繰り返した子吉川では、沿岸の住戸がしばしば危険にさらされたことから、明暦年間に名主の畑中喜右衛門が代官所に河川改修を直訴しますが、かえって農民扇動の罪をもって処刑されてしまいます。

畑中喜右衛門は処刑されるに際して、我が魂は此の地にとどまり川の流れを変えるであろうと遺言し、後の洪水によってその遺言のとおり河道が変わり、一帯の新田開発が進みました。

このため、村人たちは畑中喜右衛門の処刑された場所に供養碑を建てて祀り、現在では由利本荘市の史跡に指定されています。

畑中喜右衛門の碑の地図

地図が表示されるまでお待ちください。
Webサービス by Yahoo! JAPAN
名称 畑中喜右衛門の碑
所在地 秋田県由利本荘市吉沢芋ケ台地内
備考 国道108号矢島街道沿いに文化財愛護シンボルマークが付いた「畑中喜右衛門の碑」の看板が立ち、側道に入るとすぐの場所にあります。
参考リンク [クリックして遷移]

  • 「備考」欄に特定の場所の緯度・経度が記載されている場合には、検索ボックスにその値をコピーして入力(例えば「35.689634, 139.692101」と入力)すれば、該当する場所の地図が表示されます。
  • 地元の伝承が歴史的事実とは異なるとみられる場合もあえてそのまま記載することがあります。

義民伝承の内容

江戸時代、日本海に注ぐ子吉川(こよしがわ)の河口南岸には本荘藩の古雪(ふるゆき)港、北岸には亀田藩の石脇(いしわき)港が開かれ、西廻り航路を通る北前船の寄港地として栄えました。
このため、子吉川は両港で荷降ろしされた物資を内陸の矢島藩に運んだり、逆に内陸から米や木材などの特産品を港まで運んだりする上で、たいへん重要な役割を果たしていました。
しかし、この子吉川は大雨による増水でしばしば氾濫しており、そのたびに河岸が侵食されて、明暦年間には吉沢集落の百姓屋敷12戸が危険にさらされるようになります。
そこで、前郷村名主の畑中喜右衛門(きえもん)が、たびたび代官の奥山源兵衛に訴え出て、河川改修を要求しますが、かえって農民を扇動して強訴に及んだとして処刑されてしまいます。
畑中喜右衛門が処刑されたのは万治元年(1658)のことであり、願いによって子吉川が見える芋が台の地が刑場に選ばれます。
畑中喜右衛門は処刑されるにあたって、我が魂は此の地にとどまり川の流れを変えると遺言し、その後の洪水によって、遺言のとおりに河道が変わり、今日のような水田地帯になったとされています。
貞享3年(1686)、吉沢の人々は畑中喜右衛門を顕彰して芋が台に碑を建立するとともに、毎年命日である9月7日には慰霊祭を営むようになり、これは現在も続いています。
「貞享三丙寅年九月七日」の銘が残る畑中喜右衛門の碑は、子吉川の河川改修の歴史を伝える貴重なものであることから、由利本荘市の史跡として指定されています。

参考文献・参考資料

  • 本荘市史 通史編Ⅱ 藩政時代

リンクがなく書誌情報(リンク先のページ下部にISBNコード、発行年、出版社などが明示されています)がわからない参考資料は、一般書店で取り扱わない稀覯本や内部配布物などですが、国立国会図書館で貸出対応をしている可能性があります。

 

潜伏キリシタン 江戸時代の禁教政策と民衆 Amazon アソシエイト

国立国会図書館


リンク


新潟市
新潟市からの転出届
福島県会津児童相談所南会津相談室
福島県会津児童相談所南会津相談室:所在地や電話連絡先、一時保護所の設置有無、その他の児童相談所に関する情報
【車椅子の旅】夷隅神社
夷隅神社
夷隅神社は、千葉県夷隅郡大多喜町にある神社で、古くは「牛頭天王宮」と呼ばれました。創建時期は不明ですが、天……


↑ ページの最初に戻る