義民のあしあと

坊沢の五義民




義民伝承地の概要

江戸時代の享保9年(1724)、村入用の過重をめぐって出羽国坊沢村(秋田県北秋田市)の肝煎・長崎兵助と村人との間に争いが起こり、村人は肝煎を飛び越えて久保田藩に直訴したため、戸島与市右衛門はじめ5人がその首謀者として桜木岱で斬首の刑に処せられます。

後世、彼らを「五義民」として崇め、坊沢集落内の永安寺には「五義民地蔵」が、の処刑の地である桜木岱には「五義民の碑」が建てられました。

史跡五義民首切塚の地図

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名称 史跡五義民首切塚
所在地 秋田県北秋田市坊沢地内
備考 前山から鷹巣方面に国道7号(羽州街道、秋田街道)を走ると右手に「史跡五義民首切塚」の大きな看板が見えます。国道は盛土で施工されているので、国道よりも低い位置になります。
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  • 「備考」欄に特定の場所の緯度・経度が記載されている場合には、検索ボックスにその値をコピーして入力(例えば「35.689634, 139.692101」と入力)すれば、該当する場所の地図が表示されます。
  • 地元の伝承が歴史的事実とは異なるとみられる場合もあえてそのまま記載することがあります。

義民伝承の内容

中世、秋田県の北部の比内地方は、清和源氏義光流を称する浅利家が支配していましたが、江戸時代になると、関が原の戦いで曖昧な態度をとっていた同じ清和源氏の佐竹家が、石高を大きく減らされた上で、常陸国から出羽国に転封となります。
比内浅利家の一族も本家ともども佐竹家に仕官し、この地方は久保田藩の領域に組み入れられることになります。

出羽国坊沢村(秋田県北秋田市)は、比内浅利家の家臣だった長崎家が支配していましたが、このような状況の変化のなかで、江戸時代には坊沢村の村役人の肝煎として、引き続き村政に預かることになりました。

5代目にあたる長崎兵助は、坊沢村の肝煎として、新田開発などに大きな手腕を発揮するものの、その費用をまかなうため、村人からの村入用額の取り立てが莫大になり、年貢1石につき銭60文が割り当てたほか、米の不作のなかで、水利を整備するための労役も求めるなどして、村人の不満を増大させていきました。

このような肝煎と村人の対立のなかで、村人の代表者21人が久保田城下に出て訴訟に及びますが、既に肝煎から上役人への根回しがされていたため、村人敗訴となったことから、享保9年(1724)には、村人の一部が肝煎を飛び越えて久保田藩に直訴する事態が起こります。

当時は「村成敗」として、事実上、肝煎の手によって裁かれることになったため、徒党を組んで越訴を行った罪に問われた21人のうち、主謀者として成田喜兵衛、成田喜左衛門、戸島与市右衛門、戸島吉兵衛、戸島権助の5人が斬首刑、他の16人は追放刑に処されることになりました。
翌年の享保10年(1725)、村のはずれにある桜木岱において、5人の処刑が行われ、その首は3日にわたって晒され、同じ場所に埋められたといいます。

坊沢集落内の曹洞宗永安寺の墓地には、「享保十二年末五月 願主戸島三郎兵衛」の銘がある石地蔵があり、これは事件の際に追放となり、やがて帰村した戸島三郎兵衛が、五義民の供養のために造立したものとされ、「五義民地蔵」と呼ばれています。
この永安寺境内では、お盆の時期に地元の人々によって「坊沢獅子踊り」が舞われますが、これは犠牲になった五義民の霊を慰めるためのものともいわれています。

事件から200年が経過した大正13年(1924)には、地元の青年会を中心として、この五義民を顕彰するために、5人が打ち首にされた場所である桜木岱の刑場の墓石のかたわらに「五義民の碑」が建てられました。

これらの遺跡は、1978年に「首切り塚と五義民地蔵」として北秋田市の史跡に指定され、現地には案内板などが整備されています。

参考文献・参考資料

  • 五義民―坊沢村百姓一揆の考察
  • 『鷹巣町誌』第3巻 (鷹巣町史編纂委員会、平成元年)
  • 『あきた』通巻83号  碑(いしぶみ)の周辺(第4回) 鷹巣町坊沢 五義民の碑 (秋田県広報協会、昭和44年)

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