富川村庄屋彦治・弟源吾(大石義民)

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義民伝承のある場所の概要

江戸時代の初め、瀬田川沿いの山あいにある大津市の大石地区のあたりは、膳所藩戸田氏の領地でしたが、藩では関ノ津に浜代官を置き、山越えをする人馬に重税を掛けていました。
そのため、富川村の庄屋・彦治とその弟・源吾が幕府の巡見使に直訴し、重税は廃止されたものの、この兄弟は佐馬野峠(関津峠)で磔の刑に処せられました。
大正8年(1919年)、この兄弟を顕彰するため、関津峠に「大石義民の碑」が建てられました。


 大石義民の碑の所在地や地図は次のとおりです。

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名称 大石義民の碑
所在地 滋賀県大津市大石東1丁目地内
リンク [関連サイトに遷移]
備考 信楽方面から国道422号を走ると途中で滋賀県道29号線に分岐し、ここから瀬田方面に進んだ峠道の中間にあります。峠道をさらに進むと関津に出ます。「大石義民の碑」周辺は修景工事がなされ、駐車場や手すり、階段、スロープ、史跡案内板なども整備されています。
  • 「備考」欄に特定の場所の緯度・経度が記載されている場合には、検索ボックスにその値をコピーして入力(例えば「35.689634, 139.692101」と入力)すれば、該当する場所の地図が表示されます。
  • 地元の伝承が歴史的事実とは異なるとみられる場合もあえてそのまま記載することがあります。


解説

江戸時代の初め、瀬田川沿いの山あいにある滋賀県大津市の大石地区は、膳所藩・戸田氏鉄の領地でした。

このあたりは中世には大石庄として、「忠臣蔵」で有名な大石内蔵助の先祖が下司職を務めており、その苗字の由来になった土地であるほか、さらに遡れば、逢坂関、龍花関とともに、平安京を守るための古代の「江州三関」が置かれた土地でもありました。

膳所藩では、瀬田川を通って琵琶湖に至るための積出港となる関ノ津に浜代官を置いて支配していましたが、山越えをして薪炭や木材を運ぶ村人たちに対しても、人馬役と呼ばれる通行税をはじめとする重税を課し、炭焼きで生計を立てる上では死活問題となっていました。

重税にあえぐ村人を見かねた富川村の庄屋・彦治とその弟・源吾は、慶長18年(1613)、鈴鹿峠を通る幕府の巡見使に直訴し、翌年にこの兄弟は佐馬野峠(関津峠)で磔の刑に処せられましたが、願いどおり重税は廃止されました。

村では富川村彦治・源吾兄弟を「義民」として、往生寺に小さな墓碑を建てて供養していましたが、大正8年(1919年)、この兄弟の事績を顕彰するため、処刑の地にあたる関津峠にも「大石義民の碑」が建てられ、日吉神社宮司の笠井喬が撰文し、題額は滋賀県知事の森正隆が揮毫しています。


参考文献

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リンクがなく書誌情報(リンク先のページ下部にISBNコード、発行年、出版社などが明示されている)がわからない参考資料は、一般書店で取り扱っていない稀覯本や内部配布物ですが、国立国会図書館で貸出対応をしている可能性があります。

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