平藤治

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義民伝承のある場所の概要

江戸時代の寛政年間、武蔵国多摩郡高幡村(現在の日野市高幡)に生まれた平藤治は、重税に困窮する農民を救うため、年貢の減免を名主らに掛け合ったものの、身内の密告でかえって捕らえられ、江戸伝馬町の牢屋敷に投獄されてしまいます。
しかし、特に一揆を企てるなどの嫌疑がないことがわかり、釈放されて村に帰る段になって、牢役人から差し入れられた毒入りまんじゅうを食べて亡くなったといいます。
村ではその後不吉なことが起こったため、藤治の祟りをおそれてこれを社に祀り、「藤尾社」「藤治権現」と呼んで、例祭の日にはまんじゅうを備える風習が生まれたといいます。
地元の名物の「高幡まんじゅう」は、この伝説が起源になっています。


 藤尾社の所在地や地図は次のとおりです。

 ここに地図が表示されるまでしばらくお待ち下さい。
 右下のロゴをクリックすると大きな地図に遷移します。
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名称 藤尾社
所在地 東京都日野市高幡 高幡323-1
リンク [関連サイトに遷移]
備考 京王線高幡不動駅のアンダーパスを徒歩で北側に抜けて滝瀬米店とコンビニローソンの間の路地を入って50メートル程度。社殿前には日野市教育委員会の案内板がありますが、入り口の道路沿いには何もなく、住宅の陰に隠れています。
  • 「備考」欄に特定の場所の緯度・経度が記載されている場合には、検索ボックスにその値をコピーして入力(例えば「35.689634, 139.692101」と入力)すれば、該当する場所の地図が表示されます。
  • 地元の伝承が歴史的事実とは異なるとみられる場合もあえてそのまま記載することがあります。


解説

江戸時代の寛政6年(1794、または寛政3年とも)、武蔵国多摩郡高幡村(現在の日野市高幡)の旧家に生まれた平藤治(たいらとうじ)は、村の若者らからの信望があり、重税に困窮する農民を救うため、年貢の減免を親族の名主らに掛け合います。
しかし、一揆を企てているのではないかと詮索し、後難を恐れた身内の密告で、かえって捕らえられて江戸伝馬町の牢屋敷に投獄されてしまいます。

取り調べの結果、平藤治には特に一揆を企てるなどの嫌疑がないことがわかり、釈放されて村に帰ることになりましたが、その直前に牢役人から差し入れられた毒入りまんじゅうを食べて亡くなります。
これは、藤治が帰ってきては厄介なことになると考えた名主らの謀で、無実の罪で殺されたものとされています。

文政2年(1819) 4月17日に藤治が亡くなった後、村では不吉なことが起こったため、村人らは藤治の祟りをおそれて「権現さま」として祀ることとし、天保5年(1834、天保8年とも)に藤治の棲家の跡に小祠が建てられたといいます。
日野市郷土資料館には、平家に伝来した古文書のうち、天保10年(1839)の『藤尾社普請諸色入用覚帳』が残されています。

以来、「藤尾社」と称する小祠では、毎年4月17日を例祭と定め まんじゅうを奉納して藤治の供養をする風習が生まれ、明治28年(1895)、下田レンが栄昌堂を創業して高幡不動尊の門前で「高幡まんじゅう」を販売(戦争末期の食糧難で昭和20年に廃業)するに至って、地元の名物として「高幡まんじゅう」の名が全国に轟くことになりました。


参考文献

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リンクがなく書誌情報(リンク先のページ下部にISBNコード、発行年、出版社などが明示されている)がわからない参考資料は、一般書店で取り扱っていない稀覯本や内部配布物ですが、国立国会図書館で貸出対応をしている可能性があります。

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