義民のあしあと

小沼庄左衛門(日向義民)(日向義民地蔵)



5代将軍の徳川綱吉が上野国館林の藩主だった時代、藩の役人が米1俵につき3斗5升のはずの年貢を「目こぼれ」と称して1斗余計に徴収する事件が起こります。
山田郡台之郷村の小沼庄左衛門をはじめとする名主18人は、藩に申し立てをしますが聞き入れられず、やむなく江戸に上り直訴をします。
その結果、訴えは聞き届けられますが、延宝4年(1676)、日向刑場において、小沼庄左衛門ら18人全員が磔によって処刑されてしまいます。
その後、元禄年間になって、日向村をはじめとする村々によって、刑場の地に1体の地蔵が建てられ、これは「日向義民地蔵」として現在も残り、群馬県館林市の指定史跡となっています。



目次
  1. 日向義民地蔵の概要
  2. 日向義民地蔵へのアクセス
  3. 義民伝承の内容と歴史的背景
  4. 参考文献

日向義民地蔵へのアクセス

名称 日向義民地蔵
場所 群馬県館林市日向町甲1561-1
(地図の緯度・経度:36.270737, 139.499666)
リンク [クリックして遷移]
備考
国道122号東国歴史文化街道の日向交差点の50メートルほど西側、「右足利 左太田小泉 道」の安永6年の道標がある分かれ道に、「義民地蔵尊」の標柱とともにお堂があるため、一目ですぐにわかります。
注意
文中に特定の場所の緯度・経度が記載されている場合は、検索ボックス内に値(例えば「35.689634, 139.692101」)をコピーして検索ボタンをクリックすれば、該当する場所の地図(Googleマップ)が表示されます。

義民伝承の内容と歴史的背景

5代将軍の徳川綱吉がまだ上野国館林の藩主で、金田正勝が城代を務めていた時代、藩の役人が横領を企て、1俵につき3斗5升のはずの年貢を「目こぼれ」と称して1斗ほど余計に徴収する事件が起こります。

上野国山田郡台之郷村の小沼庄左衛門、森尻右馬允、栗原四郎兵衛、石原村の栗原三左衛門、富田村の小沼久四郎をはじめとする名主18人は、台之郷村の安楽寺で血判連署した訴状をしたため、まずは藩に申し立てをしますが聞き入れられませんでした。

このため、やむなく百姓総代として小沼庄左衛門ら18人が江戸に上って直訴を行い、結果として訴えは聞き届けられますが、その身柄は捕縛されて館林藩に引き渡され、延宝4年(1676)、日向村の刑場において小沼庄左衛門ら18人全員が磔によって処刑され、安楽寺は闕所となってしまいます。

その後、元禄7年(1694)または元禄17年(1704・改元により宝永元年)になってから、日向村をはじめとする村々によって、刑場の跡地に小沼庄左衛門ら18名の冥福を祈るために1体の地蔵が建てられ、これは「日向義民地蔵」として現在も残り、群馬県館林市の指定史跡となっています。


参考文献・参考資料


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