義民のあしあと

小沼庄左衛門(日向義民地蔵)

役人の不正を館林藩主・徳川綱吉に越訴して処刑された名主・小沼庄左衛門らを供養する「日向義民地蔵」


5代将軍の徳川綱吉が上野国館林の藩主だった時代、藩の役人が米1俵につき3斗5升のはずの年貢を「目こぼれ」と称して1斗余計に徴収する事件が起こります。
山田郡台之郷村の小沼庄左衛門をはじめとする名主18人は、藩に申し立てをしますが聞き入れられず、やむなく江戸に上り直訴をします。
その結果、訴えは聞き届けられますが、延宝4年(1676)、日向刑場において、小沼庄左衛門ら18人全員が磔によって処刑されてしまいます。
その後、元禄年間になって、日向村をはじめとする村々によって、刑場の地に1体の地蔵が建てられ、これは「日向義民地蔵」として現在も残り、群馬県館林市の指定史跡となっています。


義民伝承の内容と背景

5代将軍の徳川綱吉がまだ上野国館林の藩主で、金田正勝が城代を務めていた時代、藩の役人が横領を企て、1俵につき3斗5升のはずの年貢を「目こぼれ」と称して1斗ほど余計に徴収する事件が起こります。

上野国山田郡台之郷村の小沼庄左衛門、森尻右馬允、栗原四郎兵衛、石原村の栗原三左衛門、富田村の小沼久四郎をはじめとする名主18人は、台之郷村の安楽寺で血判連署した訴状をしたため、まずは藩に申し立てをしますが聞き入れられませんでした。

このため、やむなく百姓総代として小沼庄左衛門ら18人が江戸に上って直訴を行い、結果として訴えは聞き届けられますが、その身柄は捕縛されて館林藩に引き渡され、延宝4年(1676)、日向村の刑場において小沼庄左衛門ら18人全員が磔によって処刑され、安楽寺は闕所となってしまいます。

その後、元禄7年(1694)または元禄17年(1704・改元により宝永元年)になってから、日向村をはじめとする村々によって、刑場の跡地に小沼庄左衛門ら18名の冥福を祈るために1体の地蔵が建てられ、これは「日向義民地蔵」として現在も残り、群馬県館林市の指定史跡となっています。


日向義民地蔵へのアクセス

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文中に緯度・経度の記載がある場合は、値(例えば「35.689634, 139.692101」)をコピーして検索すれば、その場所の地図(Googleマップ)が表示されます。

名称

日向義民地蔵 [参考リンク]

場所

群馬県館林市日向町甲1561-1
(この地図の緯度・経度:36.270737, 139.499666)

備考

国道122号東国歴史文化街道の日向交差点の50メートルほど西側、「右足利 左太田小泉 道」の安永6年の道標がある分かれ道に、「義民地蔵尊」の標柱とともにお堂があるため、一目ですぐにわかります。


参考文献

リンク先のAmazonのページ下部に書誌情報(ISBN・著者・発行年・出版社など)があります。リンクなしは稀覯本や私家本ですが、国立国会図書館で借りられる場合があります。

関東地方 小沼庄左衛門