柴田助太夫

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義民伝承のある場所の概要

三河国碧海郡大浜茶屋村では、街道筋の宿駅に人馬を提供する助郷役を命じられたものの、村が疲弊するとして庄屋の柴田助太夫が助郷役免除の訴願を繰り返し、そのために延宝5年(1677)、死罪になったといいます。
この柴田助太夫の功績によって、大浜茶屋村でその後の助郷役が免除されるようになったことから、村人らは助太夫に感謝し、その冥福を祈るために屋敷の跡に草庵を建て、これが後に曹洞宗永安寺になりました。
永安寺の境内正面には「雲龍の松」とよばれる見事な枝振りの大木があり、これは柴田助太夫がいたころからのものとみられるほか、市内の墓地には助太夫の墓もあり、市史跡として指定されています。


 永安寺の所在地や地図は次のとおりです。

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名称 永安寺
所在地 愛知県安城市浜屋町北屋敷17
リンク [関連サイトに遷移]
備考 国道1号(東海道)東栄町6丁目交差点を北に600メートル、県道76号線の明治川神社交差点を東に100メートルの道路沿いに「永安寺」があります。小さな寺院ですが、入口の山門まで「雲龍の松」の枝が伸びており、トンネル状になっているのですぐにわかります
「柴田助太夫墓碑」は永安寺の真東200メートルほどの田園地帯の中にある共同墓地のもっとも奥のほう(緯度経度で 34.987233, 137.106018 付近)にあり、墓石自体はかなり風化していますが、外構や史跡案内板は整備されています。
  • 「備考」欄に特定の場所の緯度・経度が記載されている場合には、検索ボックスにその値をコピーして入力(例えば「35.689634, 139.692101」と入力)すれば、該当する場所の地図が表示されます。
  • 地元の伝承が歴史的事実とは異なるとみられる場合もあえてそのまま記載することがあります。


解説

三河国碧海郡大浜茶屋村(今の愛知県安城市)では、街道筋の宿駅に人馬を提供する助郷役を命じられたものの、生産力の乏しい畑地ばかりの土地のために村が疲弊するとして、庄屋の柴田助太夫が、刈谷藩に対して助郷役免除の訴願を繰り返します。

延宝5年(1677)、柴田助太夫は死罪となりますが、大浜茶屋村では以後の助郷役が免除されるようになり、村でも役人が助郷役指定のための見分に訪れる都度、柴田助太夫の事績を書上げとして提出し、江戸幕末に至るまで免除が続きます。

村人らは柴田助太夫に感謝し、その冥福を祈るために屋敷の跡に草庵を建てますが、これが後に、助太夫の法名「本然玄性居士」、その妻の法名「安海永祥大師」から文字をとって、曹洞宗の「本然山永安寺」になったといいます。

永安寺の境内正面には「雲龍の松」とよばれる樹齢300年の見事な枝振りの大木があり、これは柴田助太夫の屋敷にあったものとされるほか、市内の墓地には「柴田助太夫墓碑」もあり、安城市史跡として指定されています。

しかし、江戸時代の検地帳などから柴田助太夫の実在が確認されてはいるものの、一揆による刑死を通して助郷役が免除されたという史実はなく、助郷役免除の口実として作られた伝説であったとする説(塚本学)もあります。


参考文献

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リンクがなく書誌情報(リンク先のページ下部にISBNコード、発行年、出版社などが明示されている)がわからない参考資料は、一般書店で取り扱っていない稀覯本や内部配布物ですが、国立国会図書館で貸出対応をしている可能性があります。

日本地図

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