義民のあしあと

宮村才蔵・山添村清左衛門




義民伝承地の概要

阿波藩(徳島藩)の支配下にあった淡路島では、厳重を極めた縄の供出などによって農村が疲弊し、天明2年(1782)、たまりかねた12か村の農民たちが大庄屋のもとに大挙して押しかけ、負担軽減を要求します(「縄方騒動」、「淡路国徳島藩領天明二年一揆」)。

徳島藩でも役人による取調べがあり、こうした悪法は廃止されたものの、今次の一揆を主導したとして、淡路国三原郡広田宮村の才蔵、山添村の清左衛門の両名は獄中で斬首され、その首は獄門に架けられます。

明治時代に自由民権運動とともにその事績が掘り起こされ、一揆ゆかりの地である広田大宮寺の裏手には、板垣退助の撰文による「天明志士紀念碑」が建てられました。

天明志士紀念碑の地図

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名称 天明志士紀念碑
所在地 兵庫県南あわじ市広田広田898
備考 県道125号から入って広田八幡神社に隣接して大宮寺があります。大宮寺境内の裏山の四国八十八ヶ所を祀ったあたりに記念碑があります。近くに広田梅林ふれあい公園もあります。
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  • 地元の伝承が歴史的事実とは異なるとみられる場合もあえてそのまま記載することがあります。

義民伝承の内容・歴史的経緯

阿波藩(徳島藩)の支配下にあった淡路島では、洲本に城代が置かれていましたが、折からの凶作で農村が疲弊している中で、「縄趣法」として、全島の農民に対して縄を供出するように命令が出されます。
縄方役所が置かれ、太縄、中縄、細縄それぞれの規格に合わないものは容赦なく差し戻された上、そのほかにも「増米法」、「木綿会所法」の新法により専売制が強化されますが、これは明治時代の自由民権運動家・小室信介の『東洋民権百家伝』によれば、現地役人の坂東米蔵、高田富次郎と、豪商の吉見平六が結託したものといいます。

天明2年(1782)、たまりかねた広田宮村をはじめとするあわせて12か村の農民たちは、旧暦5月3日夜から19日にかけて、それぞれ大庄屋の屋敷に大挙して押しかけて負担軽減を要求します(「縄方騒動」、「淡路国徳島藩領天明二年一揆」)。

この事態を受けて、本藩の阿波藩からも役人が派遣されて取調べがあり、現地洲本の役人は処罰され、農民の要求どおりに新法は廃止されて旧態に戻りますが、八幡宮の早鐘を鳴らして徒党強訴を煽った一揆の頭取として、淡路国三原郡広田宮村の才蔵、山添村の清左衛門の両名は、翌年の天明3年(1783)に獄中で斬首され、その首は桑間村川原で獄門に架けられることになりました。

人々は農業の神に仮託した洲本市中川原町地区の石地蔵「才蔵地蔵」、才蔵の霊を慰める南あわじ市八木地区の盆踊り「大久保踊」などのかたちで密かに供養を続けてきましたが、明治時代の自由民権運動の高まりとともに、「天明の志士」としてその事績が掘り起こされます。

一揆ゆかりの地である大宮寺の裏手には、明治31年(1898)の天長節を期して、自由民権運動の主導者として知られる板垣退助が撰文し、「明治の三筆」のひとりである巌谷一六が揮毫した「天明志士紀念碑」が建てられました。
現在でも地元では毎年3月23日の命日にあたって「天明志士大祭」が行われ、顕彰が続けられています。

参考文献・参考資料


リンクがなく書誌情報(リンク先のページ下部にISBNコード、発行年、出版社などが明示されています)がわからない参考資料は、一般書店で取り扱わない稀覯本や内部配布物などですが、国立国会図書館で貸出対応をしている可能性があります。

 

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