義民のあしあと

原嶋源右衛門(名主・原嶋源右衛門の死刑執行の場所)



多摩郡成瀬村の東光寺集落では、名主・原嶋源右衛門のもとで新田開発に成功しますが、隣接する都筑郡長津田村との間で境界争いが起こります。
集落では境界とおぼしき場所にあらかじめ木炭を埋めて証拠とした上で検地役人を呼び、訴訟を有利に進めますが、元から埋められていたものではないことが露見し、その首謀者として原嶋源右衛門と一家全員が処刑されます。
後に原嶋源右衛門の屋敷跡には、「成瀬義民」としてその菩提を弔うために供養碑が建てられるとともに、処刑された崖山にも崖山地蔵が建てられました。



目次
  1. 名主・原嶋源右衛門の死刑執行の場所の概要
  2. 名主・原嶋源右衛門の死刑執行の場所へのアクセス
  3. 義民伝承の内容と歴史的背景
  4. 参考文献


名主・原嶋源右衛門の死刑執行の場所へのアクセス

名称 名主・原嶋源右衛門の死刑執行の場所
場所 東京都町田市南成瀬8丁目地内
(地図の緯度・経度:35.534409, 139.486488)
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備考
崖山地蔵は、成瀬クリーンセンター(下水処理場)や南成瀬東町内會會館と道路を挟んで隣り合う、小山のようになっている一角にあり、表面はかなり風化しています。
原嶋源右衛門屋敷跡は、町田市南成瀬8丁目5番地内(緯度経度:35.533104, 139.486027)にあり、平成に入ってから再建された供養塔が、民家の間の小さなスペースに祀られています。
注意
文中に特定の場所の緯度・経度が記載されている場合は、検索ボックス内に値(例えば「35.689634, 139.692101」)をコピーして検索ボタンをクリックすれば、該当する場所の地図(Googleマップ)が表示されます。

義民伝承の内容と歴史的背景

武蔵国多摩郡成瀬村(今の東京都町田市南成瀬ほか)は、起伏があり瘠せた土地が多かったものの、村境近くにあたる東光寺集落では、名主・原嶋源右衛門のもとでの新田開発に成功します。

しかし、隣接する都筑郡長津田村(今の神奈川県横浜市緑区長津田)との間で境界争いが起こったため、集落では境界とおぼしき場所にあらかじめ木炭を埋めて証拠づくりをした上で検地役人を呼び、訴訟を有利に進めようとします。

この結果、境界相論については成瀬村の主張が認められましたが、木炭が元から埋められていたものではないことが後で露見し、享保元年(1716)ごろ、その首謀者として原嶋源右衛門とその一家全員が、村境にある崖山で処刑されました。

享保7年(1729)、東光寺講中の人々により、原嶋源右衛門の屋敷跡に菩提を弔うための舟形供養碑が建てられましたが、風化して崩壊してしまったため、平成に入ってから新しい供養碑が再建されました。
また、原嶋源右衛門一家が処刑された崖山にも、崖山地蔵が建てられており、今もその遺跡が現地に残っています。

この伝説の真否を裏付ける史料はないものの、別の場所には、東光寺集落の原嶋源右衛門と境界争いをして吹上集落の土地を広げ、後に何者かに殺されたという川田七兵衛(焼石当左衛門)を供養するための「首切り地蔵」の伝説と遺跡もあります。


参考文献・参考資料

  • 『町田の民話と伝承』第1集(町田市教育委員会、1997年)
  • 『成瀬の石佛』(撮影:監物博・解説:岡部光雄、1994年)

書誌情報(ISBNコード・著者・発行年・出版社など)はリンク先下部に記載があります。リンクがない参考文献は、一般に流通していない稀覯本や私家本が多いものの、国立国会図書館で貸出をしている場合があります。

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