高橋安之丞

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義民伝承のある場所の概要

江戸時代の貞享年間、土佐国吾川郡(あがわぐん)上八川村(高知県吾川郡いの町)では飢饉が起こり、当村の土地を開墾して茶の栽培を始めた功労者の高橋安之丞が土佐藩に年貢減免を嘆願するものの、高橋安之丞を妬む者によって讒訴され、元禄元年(1688)に死罪となり、その首は獄門として晒されたといいます。
その後人々は高橋安之丞の遺骸を鄭重に葬るとともに、若宮神社を建てて五穀豊穣の神として祀りました。


 若宮八幡宮の所在地や地図は次のとおりです。

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名称 若宮八幡宮
所在地 高知県吾川郡いの町上八川丙
リンク [関連サイトに遷移]
備考 いの町の若宮八幡宮(若宮神社)は、国道439号からの側道を旧村落方面に入ります。国道に「義民・高橋安之丞若宮八幡宮」の大きな看板が立てられています。
高知市佐川町の若宮神社は、高知市佐々木町188番地(33.5614, 133.4988)の旭ヶ丘ニュータウンの擁壁下にあり、「嗚呼義民高橋安之丞墓」の墓碑があります。
  • 「備考」欄に特定の場所の緯度・経度が記載されている場合には、検索ボックスにその値をコピーして入力(例えば「35.689634, 139.692101」と入力)すれば、該当する場所の地図が表示されます。
  • 地元の伝承が歴史的事実とは異なるとみられる場合もあえてそのまま記載することがあります。


解説

江戸時代の貞享年間、土佐国吾川郡(あがわぐん)上八川村(今の高知県吾川郡いの町)では飢饉が起こり、当村の土地を開墾して楮草や茶の栽培を盛んにした功労者で里正(庄屋)となっていた高橋安之丞(やすのじょう)らが、土佐藩山内家仕置役の岡部嘉右衛門に対して、年貢減免の嘆願を行います。

しかし、高橋安之丞の活躍を妬む川橋三蔵という者がおり、却って高橋安之丞を讒訴したため、高橋安之丞は捕縛され、十分な取調べもないまま元禄(1688)元年に雁切川(高知市の鏡川に架かる紅葉橋付近)において死罪となり、その首は獄門として晒されたといいます。

高橋安之丞の処刑に関しては、首が自宅まで飛んでいった、岡部嘉右衛門ら関係者が次々と亡くなるなどの不幸が起きた、といった祟りの伝説もあります。

異伝として、高橋安之丞が近隣の百姓に自らの土地を分け与えて耕作させていたところ、本来の高橋安之丞の土地も奪おうとしたため訴訟沙汰になり、訴訟に負けて死罪になったともいいます。

その後、上八川村の人々は高橋安之丞の遺骸を鄭重に葬るとともに、首塚の傍らに若宮神社を建てて五穀豊穣の神として祀り、今でも地元では祭礼が行われているほか、縁切りや訴訟の神としても信奉されています。
明治初期に再建された若宮神社社殿は、いの町の文化財として指定されるとともに、幕末から明治にかけての日本画家の河田小龍が手がけた「神攻皇后と武内宿禰」の絵馬や、明治の自由民権運動を表した「自由萬歳」の絵馬が残ります。

また、高知市佐々木町の住宅街の外れには別の若宮神社もあり、これは杓田村百姓清兵衛が高橋安之丞の胴体を願い受けて自宅の近くに鄭重に葬り、その地に建てられたものとされています。
百姓清兵衛は、若い頃に病気の父のために薪売りなどをして生計を立てており、高知城下で父が好きな酒を買って帰る途中で徳利を落として途方に暮れていたところ、偶然出会った高橋安之丞から酒や薬を援助してもらったため、その恩義を生涯忘れなかったといいます。


参考文献

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リンクがなく書誌情報(リンク先のページ下部にISBNコード、発行年、出版社などが明示されている)がわからない参考資料は、一般書店で取り扱っていない稀覯本や内部配布物ですが、国立国会図書館で貸出対応をしている可能性があります。

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