義民白田六右衛門(義民白田六右衛門顕彰碑)
江戸時代の元禄年間、多胡村(今の群馬県高崎市)では大干魃のため飢饉に陥り、これを見かねた名主の白田六右衛門は、年貢米の殻倉を開いて百姓に分け与えて窮状を救いますが、捕らえられて死罪となります。
以来、地元では密かに供養が続けられてきましたが、現在では墓がある龍源寺に顕彰碑が建てられています。
義民伝承の内容と背景
江戸時代の元禄年間、多胡村(今の群馬県高崎市)は公家から武家に転身した旗本松平信平の知行地として代官が支配していましたが、大干魃による飢饉で百姓は餓死寸前の有り様でした。
これを見かねた庄屋の白田六右衛門は、領主から預かっていた年貢米を納めた穀倉を開いて百姓に分け与え、この窮乏を救いますが、もとより領主の許しを得ずにした行為のために捕らえられ、村人たちの助命嘆願も虚しく、元禄2年(1689)5月、24歳の若さで龍源寺前のきゅうり畑(今の龍源寺駐車場の辺り)において死罪となります。
これより以降、白田家ではきゅうりを作らない習わしとなったほか、地元では白田六右衛門が処刑された場所の近くに祠を建てて密かに供養を続けてきましたが、昭和63年(1988)に墓地がある龍源寺に顕彰碑が建てられ、石祠もその脇に遷されました。
義民白田六右衛門顕彰碑へのアクセス
文中に緯度・経度の記載がある場合は、値(例えば「35.689634, 139.692101」)をコピーして検索すれば、その場所の地図(Googleマップ)が表示されます。
名称
- 義民白田六右衛門顕彰碑 [参考リンク]
場所
- 群馬県高崎市吉井町大字多胡776
(この地図の緯度・経度:36.2382, 138.9887) 備考
- 「義民白田六右衛門顕彰碑」は、上信越自動車道吉井インター近くの曹洞宗慈雲山松田院龍源寺の山門手前の参道沿いに、六右衛門を祀る石祠とともにあります。
参考文献
リンク先のAmazonのページ下部に書誌情報(ISBN・著者・発行年・出版社など)があります。リンクなしは稀覯本や私家本ですが、国立国会図書館で借りられる場合があります。