義民のあしあと

椎名源治




義民伝承地の概要

寛文2年(1662)、下総国牧野村(今の千葉県香取市)では凶作により村人が困窮したため、椎名源治という人が公儀に訴えますが、地頭の黒川左馬はこの行動を憎み、村内を引き回しの上で穴埋めにして処刑します。

源治の死後、異様な蛇が出現し、村では疫病が流行しますが、源治の引き回しの際に酒を献じた家だけが無事だったといいます。

そこで宝暦3年(1753)、村では石祠をつくって源治を祀り、明治18年(1885)に社殿を新築、昭和56年(1981)に大改修を行って、山神として崇めています。

山神源治宮の地図

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名称 山神源治宮
所在地 千葉県香取市牧野地内
備考 JRバスの「観福寺前」バス停脇の擁壁に「山神源治宮表参道入口」の看板があります。そのままコンクリートの階段になっている参道を上るとくの字に折れて源治宮の朱塗りの社があります。
参考リンク [クリックして遷移]

  • 「備考」欄に特定の場所の緯度・経度が記載されている場合には、検索ボックスにその値をコピーして入力(例えば「35.689634, 139.692101」と入力)すれば、該当する場所の地図が表示されます。
  • 地元の伝承が歴史的事実とは異なるとみられる場合もあえてそのまま記載することがあります。

義民伝承の内容・歴史的経緯

寛文2年(1662)、下総国香取郡牧野村(今の千葉県香取市)では凶作により村人が困窮したため、椎名源治という人が地頭の黒川左馬による苛政を公儀に訴え出ます。

源治は房総半島の名門の千葉家の流れを汲む椎名家の出自で、豊臣秀吉の小田原征伐で主家が所領を没収され滅亡したため帰農した一族といい、生前は酒を好み義侠心があったともいいます。

しかし、黒川左馬はこの行動を憎み、村内を引き回しの上、寛文2年(1662)11月15日、穴に生き埋めにして源治を処刑します。

源治の死後、青灰色の異様な蛇が出現し、村では疫病が流行しますが、源治の引き回しの途中で盃を献じて酒を呑ませた家だけが無事だったといいます。

大いに驚いた村人は、源治の霊を鎮めるため、宝暦3年(1753)に石祠をつくって源治を祀り、明治18年(1885)には社殿を新築、昭和56年(1981)にも大改修を行って、今も山神「源治宮」として崇めています。

この境内周囲には近世の塚がいくつか見られますが、特に事実関係を示す古文書はなく、地元に口碑として残り、「源治屋敷」と称する屋敷地の跡は今の観福寺の裏手のあたりに、その墓は観福寺の境内墓地にあるといいます。

参考文献・参考資料

  • 「山神源治宮の由来」(牧野区長小貫衛、氏子総代代表岡沢正夫 昭和57年)
  • 「椎名源治様 顕彰之記」(牧野区氏子総代香取晋一 平成26年)

リンクがなく書誌情報(リンク先のページ下部にISBNコード、発行年、出版社などが明示されています)がわからない参考資料は、一般書店で取り扱わない稀覯本や内部配布物などですが、国立国会図書館で貸出対応をしている可能性があります。

 

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