義民のあしあと

堀江六之丞




義民伝承地の概要

下野国足利郡板倉村は、河内国に藩庁を置く小藩・丹南藩の飛び地の領地でしたが、寛延年間には不作となり、困窮した農民らは年貢減免を要求して陣屋に強訴します。

これを軽挙妄動として押しとどめた堀江六之丞は、かえって一揆の首謀者と見られてしまい、拷問の末に松田河岸で処刑されます。

妻のよねも夫の冤罪を晴らすために江戸屋敷に訴え出るものの、やはり直訴の罪で処刑されてしまいます。

その後領主は年貢軽減を図ったといいますが、村では堀江六之丞・よねの慰霊のために祠を建てて祀り、これが現在の六之丞八幡宮となっています。

六之丞八幡宮の地図

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名称 六之丞八幡宮
所在地 栃木県足利市板倉町
備考 六之丞八幡宮の入口となる公道沿いには庚申塔が何基か置かれ、「羽黒古墳」の小さな看板が出ています。ここから未舗装の山道を歩いていくと羽黒古墳へ至る道と分岐しますが、正面に八幡宮の鳥居が見えるのでそのまま進んで境内に行きます。
参考リンク [クリックして遷移]

  • 「備考」欄に特定の場所の緯度・経度が記載されている場合には、検索ボックスにその値をコピーして入力(例えば「35.689634, 139.692101」と入力)すれば、該当する場所の地図が表示されます。
  • 地元の伝承が歴史的事実とは異なるとみられる場合もあえてそのまま記載することがあります。

義民伝承の内容・歴史的経緯

下野国足利郡板倉村(今の栃木県足利市)は、河内国に藩庁を置く1万石の小藩・河内丹南藩高木氏の飛び地の領地でしたが、寛延年間は天候不順により不作となる中で、農民に重税を課していました。

そこで困窮した農民50名あまりが、年貢減免を要求して五十部村(よべむら)にあった陣屋に押し掛けて強訴しますが、同村の堀江六之丞はこれを軽挙妄動と説得し、一旦は農民の代表者のみで代官に陳情することになります。

ところが代官所からは堀江六之丞がかえって一揆の頭取と見られてしまい、拷問の末に寛延3年(1750)8月22日に地元の松田河岸において斬首されます(なお元号を寛保とするものもある)。

堀江六之丞の妻よねも夫の冤罪を晴らすために江戸屋敷に訴え出るものの、やはり直訴の罪で江戸において処刑されてしまいます。

その後に事の顛末を知った領主は代官を処罰するとともに、板倉村の年貢軽減を図ったといいますが、村では堀江六之丞・よねの慰霊のために羽黒山上の祠に祀り、これが現在の六之丞八幡宮として、昭和になってから由来を記した石碑も建てられています。

参考文献・参考資料


リンクがなく書誌情報(リンク先のページ下部にISBNコード、発行年、出版社などが明示されています)がわからない参考資料は、一般書店で取り扱わない稀覯本や内部配布物などですが、国立国会図書館で貸出対応をしている可能性があります。

 

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