昆野八郎右衛門

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義民伝承のある場所の概要

江戸時代のはじめ、陸奥国磐井郡釘子村(今の岩手県一関市の一部)は仙台藩の石川大和が治めていましたが、贅沢に耽り調達金などとして重税を課していました。
肝煎の昆野八郎右衛門は農民の苦衷を見かね、身代を子女に譲り渡した上で、東照宮参詣に出た仙台藩主に直訴を行い、捕らえられて七北田の仕置場で処刑されます。
時に天和2年(1682)のことといいますが、この直訴によって釘子村では年貢が軽減されたため、明治時代になってから八郎明神として祀られ、現在も集落を見下ろす高台に「昆野八郎右エ門神社」が鎮座しています。


 昆野八郎右エ門神社の所在地や地図は次のとおりです。

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名称 昆野八郎右エ門神社
所在地 岩手県一関市室根町矢越地内
リンク [関連サイトに遷移]
備考 県道18号沿いに「大泉寺」と「昆野八郎右エ門神社」の入口を示す標柱が道路両サイドに立っています。ここから西に100メートル入った道路突き当たりに長い石段があり、石段の上の高台に「昆野八郎右エ門神社」社殿があります。高台の斜面に「はちろうえもん」の植栽文字があるのですぐにわかります。地元でかなり手入れされている神社と見受けられます。
  • 「備考」欄に特定の場所の緯度・経度が記載されている場合には、検索ボックスにその値をコピーして入力(例えば「35.689634, 139.692101」と入力)すれば、該当する場所の地図が表示されます。
  • 地元の伝承が歴史的事実とは異なるとみられる場合もあえてそのまま記載することがあります。


解説

江戸時代のはじめ、陸奥国磐井郡釘子村(今の岩手県一関市の一部)は仙台藩の石川大和が治めていましたが、贅沢に耽り、調達金や御借上げなどとして実質的な重税を課していました。

肝煎の昆野八郎右衛門(こんのはちろうえもん)は農民の苦衷を見かね、不作による年貢減免を嘆願するものの聞き入れられず、ついに身代を子女に譲り渡した上で、仙台東照宮参詣に出た仙台藩主に直訴状を提出しようとしたところ、その場で警固の者に捕らえられてしまいます。

天和2年(1682)8月、昆野八郎右衛門は七北田の仕置場で処刑され、梟首されていた首は親族が請い受けて墓地に埋葬しますが、これ以降の釘子村では年貢が軽減され、穀納から銭納に改められたほか、石川大和もこの一件で角田に所替えとなったとされています。

明治時代になってから、地元では昆野八郎右衛門を義民として称えるため、大泉寺の前の集落を見下ろす高台に「八郎明神」として祀り、現在も「昆野八郎右エ門神社」として鎮座しています。

[なお歴史的事実と異なるとみられる点もそのまま記載しています。]


参考文献

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リンクがなく書誌情報(リンク先のページ下部にISBNコード、発行年、出版社などが明示されている)がわからない参考資料は、一般書店で取り扱っていない稀覯本や内部配布物ですが、国立国会図書館で貸出対応をしている可能性があります。

日本地図

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