義民のあしあと

鈴木源之丞(鈴木源之丞供養塔)


肥前島原から下野宇都宮に転封となった松平忠祇は、藩財政立て直しのために増税を行います。
領内百姓は先例を盾に年貢減免の嘆願を行うものの聞き届けられなかったことから、明和元年(1764)9月に4万5千人が参加する「籾摺騒動」の一揆が勃発し、宇都宮城下の豪商の屋敷などが打ち壊しの被害を受けます。
程なく一揆の頭取として御田長島村(今の栃木県宇都宮市)庄屋の鈴木源之丞ほかが捕らえられ、城下引き回しの上で打首となりました。
鈴木源之丞の処刑後、宇都宮城下は大洪水に見舞われ、これは「源之丞洪水」として、無念の死を遂げた義民たちの怨念によるものと噂されました。
その後、鈴木源之丞の供養のため、村の鎮守社の脇に六角柱の無文の供養塔が建てられ、喜国神社にも祀られています。


目次
  1. 鈴木源之丞供養塔の概要
  2. 鈴木源之丞供養塔へのアクセス
  3. 義民伝承の内容と背景
  4. 参考文献


鈴木源之丞供養塔へのアクセス

注意
文中に特定の場所の緯度・経度が記載されている場合は、検索ボックス内に値(例えば「35.689634, 139.692101」)をコピーして検索ボタンをクリックすれば、該当する場所の地図(Googleマップ)が表示されます。

名称

鈴木源之丞供養塔 [参考リンク]

場所

栃木県宇都宮市御田長島町地内
(この地図の緯度・経度:36.479834, 139.883762)

備考

日光街道(国道4号)沿いのセブンイレブン宇都宮末広店の角をまっすぐ東に進むと、市道沿いの入口(信号機の一つ手前の交差点)に「源之丞墓」と小さな矢印型の木標が立っていますが、周囲が田園地帯のためわかりにくくなっています(なお正確には墓は付近の鈴木家の子孫の邸宅内に移され、神社脇にあるのは供養塔)。この入口さえ分かれば、高尾神社の北東側に新しい覆屋で保護された「鈴木源之丞供養塔」がすぐに見つかります。
「喜国神社」は高尾神社の境内社で、いくつかある石祠の右端、鳥居が建てられている一社です。


義民伝承の内容と背景

肥前島原から下野宇都宮に転封となった松平忠祇は、藩財政立て直しのために五合摺(年貢の計算上、籾1升を脱穀すると精米5合が得られると換算すること)から六合摺への変更による年貢増徴を図ります。

領内百姓は五合摺を先例としていたことを盾に年貢減免の嘆願を行うものの、聞き届けられなかったことから、明和元年(1764)9月に領内2百か村の百姓4万5千人が八幡山に集合する「籾摺騒動」の大一揆が勃発し、宇都宮城下の豪商の屋敷などが打ち壊しの被害を受けます(なお従前から一揆の年代を宝暦3年(1753)と見る説もある)。

宇都宮藩では大目付の松野源太夫が出て百姓の慰撫に努めますが、一揆はなお数日続いた上で鎮圧され、程なく一揆の頭取として御田長島村(今の栃木県宇都宮市)庄屋の鈴木源之丞、上平出村庄屋後見の水沼亀右衛門(または太郎兵衛とも)、今泉新田庄屋の増淵六平らが捕らえられ、城下引き回しの上、土堂原の刑場において打ち首となりました。

鈴木源之丞らの処刑後、宇都宮城下は大洪水に見舞われ、これは「源之丞洪水」として、無念の死を遂げた義民たちの怨念によるものと噂されました。

その後、御田長島村の鎮守の杜には藩に知られぬように法名などの文字がまったく刻まれていない六角柱の供養塔が建てられたほか、鈴木源之丞は高尾神社の境内社に「喜国大明神」として、水沼亀右衛門と増淵六平は平出雷電神社(宇都宮市平出町3848)の境内社にそれぞれ「喜国(帰国)権現」「喜国(帰国)明神」として祀られました。

現在も地元の雀宮地区では「鈴木源之丞まつり」が行われ、源之丞の生涯を描いた芝居が上演されるなどして顕彰が行われています。



参考文献・参考資料


書誌情報(ISBNコード・著者・発行年・出版社)はリンク先下部に記載があります。リンクがないものは稀覯本や私家本ですが、国立国会図書館で収蔵している場合があります。

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