義民のあしあと

川口市郎兵衛




義民伝承地の概要

延宝9年(1681)、駿河国富士郡では厳しい検地が行われますが、前年の高潮では東海道の吉原宿が所替えをせざるを得ないほどの被害を受けるなどしており、農民たちは疲弊していました。

そこで青島村(現在の静岡県富士市)の名主・川口市郎兵衛が検地に反対しますが、捕らえられ江戸に送られて磔の刑に処せられます。

村では川口市郎兵衛を密かに八幡神社に合祀し、以来この神社は「磔八幡」と呼ばれるようになりますが、江戸幕府10代将軍・徳川家治の時代になってようやく赦免されました。

青嶋八幡宮神社(磔八幡)の地図

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名称 青嶋八幡宮神社(磔八幡)
所在地 静岡県富士市青島町77
備考 「青嶋八幡宮神社(磔八幡)」は住宅やマンションが混在する地域にある小さな神社ですが、整然とした玉砂利の参道と社殿が整備されています。参道の西側、民間駐車場との境界に、漫画家望月あきらによる紙芝居の絵と解説文が掲示されています。
参考リンク [クリックして遷移]

  • 「備考」欄に特定の場所の緯度・経度が記載されている場合には、検索ボックスにその値をコピーして入力(例えば「35.689634, 139.692101」と入力)すれば、該当する場所の地図が表示されます。
  • 地元の伝承が歴史的事実とは異なるとみられる場合もあえてそのまま記載することがあります。

義民伝承の内容・歴史的経緯

江戸時代前期の延宝9年(1681)、駿河国富士郡では検地が行われますが、前年の延宝8年8月の高潮では東海道の吉原宿が所替え(集団移転)をせざるを得ないほどの被害を受けるなど、農民たちが疲弊する状況を無視した過酷なものであったといいます。

同時代に姉川一夢(筆者については異説もある)が記した地誌『田子乃古道』によれば、別の村では従来の石高(「古間」)との辻褄を合わせるため、執拗に棹を入れて測り直しをしたり、農地にならない荒れ地を無理に村高に組み入れるなどしていました。
こうした石高不足の理由についても、前回の伊奈備前守による検地の際、棹打ちを担当していた人間が農民から賄賂をもらって手心を加えていたのがわかったため、これを処刑して検地対象の村々に見せしめとして首桶を回したところ、皆が恐れをなして過大申告になったと書かれています。

こうした状況のなか、青島村(現在の静岡県富士市)の名主・川口市郎兵衛は検地に反対して検地役人を村に立ち入らせなかったため、駿府の代官所から江戸の勘定奉行に送られ、吟味の末に29歳にして鈴ヶ森刑場で磔に処せられたといいます。

その後村では幕府を憚り密かに八幡神社に川口市郎兵衛を合祀しますが、江戸幕府10代将軍・徳川家治によってようやくその罪が赦免され、宝暦13年(1763)には神祇官・卜部兼雄をして奉幣があったといい、現在も桐箱に入った当時の幣帛が社殿のなかに保管されています。

以来この神社は「磔八幡」と呼ばれ、明治時代にも村社の社格を得て地域の信仰を集めており、境内にはほかにも石造の供養塔らしきものが残るほか、平成に入ってから『サインはV!』などを手がけた地元富士市出身の漫画家・望月あきらによる川口市郎兵衛の生涯を描いた紙芝居なども奉納され、神社の境内入口に展示されています。

参考文献・参考資料


リンクがなく書誌情報(リンク先のページ下部にISBNコード、発行年、出版社などが明示されています)がわからない参考資料は、一般書店で取り扱わない稀覯本や内部配布物などですが、国立国会図書館で貸出対応をしている可能性があります。

 

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