義民のあしあと

島田紋次郎




義民伝承地の概要

江戸幕末の慶応2年(1866)6月、折からの米価高騰などを受けて、武蔵国秩父郡上名栗村(今の埼玉県飯能市)の大工・島田紋次郎らが決起し、名主や豪商らに対して米価引き下げや施米、質草の返還などを求め、従わない場合は徹底した打ちこわしを行いました。

この動きは「武州世直し一揆」と呼ばれ、関東地方一帯の200か村以上に広がりますが、関東郡代の岩鼻陣屋(今の群馬県高崎市)を襲撃した一揆勢が鎮圧されると終息に向かいます。

島田紋次郎らは首謀者として捕らえられ、最終的には死罪が言い渡されますが、それよりも先に吟味中に獄死しています。

地元には一揆の相談の場になったという正覚寺が残るほか、寺の近くの山間地に島田紋次郎の墓が営まれています。

福王山正覚寺の地図

地図が表示されるまでお待ちください。
Webサービス by Yahoo! JAPAN
名称 福王山正覚寺
所在地 埼玉県飯能市上名栗2326
備考 福王山正覚寺は、名郷バス停付近で県道53号から分岐する県道73号沿いにあります。「曹洞禅宗 正覚寺」や「入漁券売場 大鳩園」と書かれた看板がある細い路地を入ります。

島田紋次郎の墓は、県道をそのまま秩父方面に向かった先にある駐車帯の上の山間地に位置しており(緯度経度 35.912261, 139.149109 付近)、いくつかある島田家の墓石のなかでも表面に「寒窓了山禅定門」と法名が刻まれた自然石のものです。
参考リンク [クリックして遷移]

  • 「備考」欄に特定の場所の緯度・経度が記載されている場合には、検索ボックスにその値をコピーして入力(例えば「35.689634, 139.692101」と入力)すれば、該当する場所の地図が表示されます。
  • 地元の伝承が歴史的事実とは異なるとみられる場合もあえてそのまま記載することがあります。

義民伝承の内容・歴史的経緯

江戸幕末の慶応2年(1866)、横浜開港以来のインフレによる米価高騰や天候不順によって、林業などで生計を立てていた武蔵国秩父郡上名栗村(今の埼玉県飯能市)では日々の食物にも困窮するようになります。

そこで同村の正覚寺で密議が行われ、同寺の檀家だった宮大工・島田紋次郎が一揆を主唱し、桶屋・新井豊五郎がこれに賛同、さらには多摩郡下成木村(今の東京都青梅市)の組頭で「悪惣」のあだ名があった中村喜左衛門とも連携し、慶応2年(旧暦)6月13日夜から翌朝にかけて、2千人ほどの農民が飯能河原で決起します。

一揆勢はまず飯能に向かい、高麗郡久下分村名主・小山国三郎の屋敷を打ちこわしたの皮切りとして、名主や米屋・質屋・油屋・酒屋などの豪商を中心とした、横浜貿易で直接間接の利益を得ている層をターゲットに、向かった先で米価引き下げ、質草の返還、施(ほどこし)米・施金などを要求し、従わない場合は徹底した打ちこわしで臨みました。

この動きは「世直し」や「世均し」を主張したことから「武州世直し一揆」と呼ばれますが、またたく間に武蔵・上野両国の200か村以上に広がり、合わせて10万人が参加、520軒あまりが打ちこわしの被害に遭ったといい、この地域には現在でも柱や壁を鉈や鋸などで斬り付けられた跡が残る商家建築がいくつか見られます。

一揆勢はいくつかのルートに分かれ、南は多摩川の築地の渡しまで、東は中山道の大宮・鴻巣・熊谷付近まで、西は秩父・下仁田まで、北は岩鼻陣屋の付近にまで展開しています。

これに対して多摩郡では江川太郎左衛門英武の配下の農兵や八王子千人同心らがゲベール銃などで一揆勢を撃退、関東郡代の岩鼻陣屋に向かった一揆勢も幕府役人と高崎藩兵に鎮圧されて、6月19日までの7日間にわたるにわたる争乱はようやく終息し、この間に農民側の死傷者も多数に及びました。

一揆後には首謀者が捕らえられ、慶応3年、名栗村百姓・島田紋次郎は死罪、同じく新井豊五郎は遠島、下成木村組頭・中村喜左衛門は闕所の上で中追放と勘定奉行から申し渡されますが、すでに島田紋次郎は慶応2年10月に、新井豊五郎は11月に江戸の伝馬町で獄死した後でした。

島田紋次郎らが密議を凝らしたという正覚寺は、座禅体験や精進料理で全国に知られる寺院として今なお地元に残るほか、島田紋次郎の墓所も寺院近くの山間地に建てられています。

参考文献・参考資料


リンクがなく書誌情報(リンク先のページ下部にISBNコード、発行年、出版社などが明示されています)がわからない参考資料は、一般書店で取り扱わない稀覯本や内部配布物などですが、国立国会図書館で貸出対応をしている可能性があります。

 

百姓一揆と義民の研究 Amazon アソシエイト

国立国会図書館


リンク


土佐警察署
土佐警察署での運転免許更新手続き・警察署の位置及び連絡先ほか
【車椅子の旅】夷隅神社
夷隅神社
夷隅神社は、千葉県夷隅郡大多喜町にある神社で、古くは「牛頭天王宮」と呼ばれました。創建時期は不明ですが、天……


↑ ページの最初に戻る