義民のあしあと

宅和伊助




義民伝承地の概要

江戸時代の享保17年(1732)、出雲国では蝗害による飢饉が発生したため、神門郡松寄下村の庄屋・伊助と荒木村の庄屋・源左衛門は、松江藩の藩庁に年貢減免を訴えます。

しかし検分のために出張してきた藩の役人が到着するよりも前に、地元の百姓によって勝手に稲が刈り取られてしまっていたため、2人は捕らえられて処刑され、源左衛門は荒木村の万屋橋で、伊助は松寄下村の高瀬川畔で獄門に架けられたといいます。

昭和5年(1930)、宅和伊助の子孫によって、伊助屋敷跡に「宅和伊助翁神霊碑」が建てられました。

宅和伊助翁神霊碑の地図

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名称 宅和伊助翁神霊碑
所在地 島根県出雲市松寄下町地内
備考 「宅和伊助翁神霊碑」は、島根県出雲市松寄下町1318の亀玉山薬師寺(出雲薬師6番札所)の東側に隣接する、宅和伊助屋敷跡に建てられています。高松倶楽部が改築記念に建立した案内碑に経緯が書かれています。
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  • 「備考」欄に特定の場所の緯度・経度が記載されている場合には、検索ボックスにその値をコピーして入力(例えば「35.689634, 139.692101」と入力)すれば、該当する場所の地図が表示されます。
  • 地元の伝承が歴史的事実とは異なるとみられる場合もあえてそのまま記載することがあります。

義民伝承の内容・歴史的経緯

江戸時代の享保17年(1732)、出雲国では蝗害(イナゴ)によって17万4千石以上の青稲が被害を受ける大飢饉が発生します。

神門郡松寄下村の庄屋・伊助と荒木村の庄屋・源左衛門(いもに現在の島根県出雲市)は、松江まで出向いて藩庁に年貢減免を訴えます。

しかし検分のために出張してきた藩の役人が到着するよりも前に、地元の百姓によって勝手に稲が刈り取られてしまっていたため、2人は捕らえられて斬首され、源左衛門は荒木村の万屋橋で、伊助は松寄下村の高瀬川畔で獄門に架けられたといいます。

出雲松江藩で代々にわたり藩儒を務めた桃家の養子となった桃好裕(節山)は、漢文調の歴史書『出雲私史』に「神門民群集。逼松江争訟。乃捕党魁源左衛門伊助。誅而梟之。」とあり、松江に押しかけた一揆の頭取として、伊助と源左衛門の2人が捕らえられて獄門となったことが簡潔に語られています。

伊助は処刑されされるにあたって「竹は八月木は九月、伊助の首は今が斬り時」と言ったと伝えられ、遺骸は宅和家の墓地に葬られますが、昭和5年(1930)にその義挙を顕彰するため、宅和伊助の子孫によって伊助屋敷跡に「宅和伊助翁神霊碑」が建てられました。

参考文献・参考資料


リンクがなく書誌情報(リンク先のページ下部にISBNコード、発行年、出版社などが明示されています)がわからない参考資料は、一般書店で取り扱わない稀覯本や内部配布物などですが、国立国会図書館で貸出対応をしている可能性があります。

 

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