義民のあしあと

白井半左衛門




義民伝承地の概要

丹波国多紀郡福住村(今の兵庫県篠山市)の庄屋・白井半左衛門は、灌漑と防火を兼ねた溝を掘り、福住の集落に柼木(うとき)川の水を流す工事を始めますが、無断で工事を行ったとして大庄屋の荻田三太夫から篠山藩に訴えられ、享保16年(1731)に死罪闕所に処せられます。

白井半左衛門は死に臨んで「災害のあった時に思い知るだろう」と叫んだといい、寛延元年(1748)に福住を大火が襲った際には、白馬にまたがった半左衛門を見た者が多くあらわれました。

そこで福住村中では禅昌寺に白井半左衛門の供養塔を建立し、現在も境内に残されています。

白井半左衛門供養塔の地図

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名称 白井半左衛門供養塔
所在地 兵庫県篠山市福住274
備考 「白井半左衛門供養塔」は、籾井城址の入口にあたる禅昌寺の山門を入った左側にある宝篋印塔です。手前に供養塔であることを示す石柱が建っており、ほかに「白馬の半左衛門」の民話の解説板があります。
参考リンク [クリックして遷移]

  • 「備考」欄に特定の場所の緯度・経度が記載されている場合には、検索ボックスにその値をコピーして入力(例えば「35.689634, 139.692101」と入力)すれば、該当する場所の地図が表示されます。
  • 地元の伝承が歴史的事実とは異なるとみられる場合もあえてそのまま記載することがあります。

義民伝承の内容・歴史的経緯

丹波国多紀郡福住村(今の兵庫県篠山市)の庄屋・白井半左衛門は、灌漑と防火を兼ねた溝を掘り、福住の集落に柼木(うとき)川の水を流す工事を始めました。

しかし、同じ村に住んでいた大庄屋の荻田三太夫はこれに反対し、無断で工事を行ったとして白井半左衛門のことを丹波篠山藩に訴えます。

この結果、大庄屋を蔑ろにするのは藩を蔑ろにすることと同じとして、奉行所から死罪闕所を申し渡され、享保16年(1731)12月25日に処刑されてしまいます。

白井半左衛門は死に臨んで「災害のあった時に思い知るだろう」と叫んだといい、果たして寛延元年(1748)に福住の町で52軒を焼く大火が起こりますが、このときに白馬にまたがった半左衛門の姿を目撃したとする者が多数あらわれました。

そこで同年、福住の禅昌寺に村中で白井半左衛門の供養塔として宝篋印塔を建立することとなり、これが現在も禅昌寺境内に残っています。

もっとも、その後の寛政11年(1789)には9軒、文化6年(1810)には83軒を焼く火災が福住では起きており、これも半左衛門の怨霊のしわざとされています。

参考文献・参考資料


リンクがなく書誌情報(リンク先のページ下部にISBNコード、発行年、出版社などが明示されています)がわからない参考資料は、一般書店で取り扱わない稀覯本や内部配布物などですが、国立国会図書館で貸出対応をしている可能性があります。

 

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