戸塚村善兵衛(義民弔魂碑)
江戸中期の寛延2年(1749)、陸奥国白川郡戸塚村(今の福島県東白川郡矢祭町)では2年続きの不作で百姓が困窮し、塙代官所に年貢延納や金米借用を強訴する「戸塚騒動」が勃発します。この騒動では翌寛延3年(1750)2月に代官所を百姓2千人が包囲し、安楽寺に逃れた代官・筧伝五郎が切腹したとも伝えられます。結果として百姓の要求は認められますが、頭取の戸塚村長百姓の善兵衛が獄門となったのをはじめ、あわせて559名が処罰されています。戸塚村の観音堂には後に善兵衛ら犠牲者の墓が建てられ、昭和に入ってからも徳富蘇峰撰文の「義民弔魂碑」が建てられています。
義民伝承の内容と背景
陸奥国白川郡戸塚村(今の福島県東白川郡矢祭町)では、寛延元年(1748)の干魃、翌寛延2年(1749)の長雨で2年続きの不作となり、百姓の困窮は深まりました。
すでに天領の信達両郡や三春・守山・会津・二本松各藩での百姓一揆の風聞が伝わっていたため、戸塚村の百姓一同は大挙して塙代官所に押しかけ、これが却下されると江戸表への直訴を企て、戸塚村長百姓の善兵衛らが中心となり、塙代官所支配中11か村の名義をもって、年貢延納や村高100石につき金20両の借用などを訴願します。
代官の筧伝五郎至方は常時江戸に住み、現地の手代に指示を出していましたが、塙代官所で百姓が強訴に及んでいるので早速下向し吟味するようにと幕府から命じられたため、翌寛延3年(1750)1月11日に塙代官所に着任、11か村の名主らを呼びつけて取り調べ、入獄を申し付けるなどしています。
しかし、これを知った領内の百姓が続々と塙代官所に駆けつけ、2月12日には竹槍や鎌などを持った百姓2千人が取り囲む事態となったため、代官の筧伝五郎はいったん安楽寺(東白川郡塙町)に逃れます。
やがて安楽寺も一揆勢が包囲し、代官が出てこなければ寺に火をかけると脅したため、ついに観念した筧伝五郎は寺の押入れで切腹し、隣接の棚倉藩主・小笠原長恭が塙に出兵するに及んでようやく投降したと伝えられています。
ただし、公式には筧伝五郎は江戸出発前からすでに病気であって、塙代官所での吟味中に病気が悪化して亡くなったとされており(そのため伝五郎切腹は史実ではないとする説もある)、4月には取り急ぎ伊王野代官の吉田久左衛門佳国が赴任、5月には小名浜代官の風祭甚三郎国辰と交代して引き続き取調べが行われます。
寛延3年11月29日、発頭人である戸塚村長百姓善兵衛の獄門、戸塚村長百姓幸介及び木野反村名主七三郎の死罪が塙村において執行され、この一連の「戸塚騒動」ではあわせて559名が獄門・死罪・遠島・追放・手鎖などの厳しい処罰を受けています。
その一方で、12月には塙代官所から百姓が要望した年貢の延納、村高100石あたり20両の借金、種籾や夫食米の貸下げが正式に認められることとなりました。
戸塚村の観音堂の境内には、後に善兵衛・幸助・七左衛門(遠島)の墓が建てられ、昭和に入ってからは観音堂入口に徳富蘇峰撰文の「義民弔魂碑」も建てられています。
義民弔魂碑へのアクセス
名称
- 義民弔魂碑 [参考リンク]
場所
- 福島県東白川郡矢祭町大字戸塚地内
(この地図の緯度・経度:36.8876, 140.4209) 備考
「義民弔魂碑」は、国道118号からやや奥まった戸塚正観音堂の入口に位置しています。国道沿いに「矢祭町指定有形文化財 板碑と義民善兵衛の碑(是れより約百米)」の標柱が建っており、ここから車1台幅のコンクリート舗装の坂道を登ります。
「戸塚義民の墓」(36.8878, 140.4210)は、戸塚正観音堂境内、観音堂の正面向かって左に位置しており、同型の墓碑3基が並んでいるうち中央の「正心道覚信士位」とあるのが善兵衛、左の「直心即浄信士位」が幸助、右の「唯心無外禅定門位」が七左衛門のものです。
「塙代官所跡」(36.9538, 140.4146)は、国道118号の「道の駅はなわ天領の郷」の400メートルほど北に位置し、国道沿いの入口に小さい看板が出ています。現在は代官所の建物はなく、子育て地蔵尊を祀るお堂が建っています。
「安楽寺」(36.9545, 140.4165)は、代官所の東200メートルの山中にあり、江戸幕末の天狗党の乱で八溝山に立て籠もった田中愿蔵の墓があることでも知られます。
参考文献
- 一揆 3 一揆の構造
- 世直し一揆の研究 (歴史科学叢書)
- 一揆打毀しの運動構造 (歴史科学叢書)
- 『寺西代官民政資料』(金沢春友著 柏書房、1972年)
- 『塙町史』第1巻 通史・旧村沿革・民俗(塙町 塙町、1980年)
- 『塙町史』第2巻 資料編1(塙町 塙町、1986年)
- 『矢祭町史』第1巻 通史・民俗編(矢祭町史編さん委員会 矢祭町、1985年)
- 『矢祭町史』第2巻 資料編1(矢祭町史編さん委員会 矢祭町、1985年)
- 『福島県史』第3巻 通史編 第3 近世2(福島県 福島県、1970年)