義民のあしあと

中尾重兵衛(柿の木地蔵)



元和7年(1621)、篠山藩は不作につき柿などの生木物の上納を領内に命じたため、飢えに苦しむ百姓を見かねた丹波国多紀郡二ノ坪村(今の兵庫県丹波篠山市)の中尾重兵衛らが京都所司代に越訴します。結果としてこの柿年貢は取りやめとなりますが、重兵衛ら頭取9人が八上高城において磔刑に処せられました。後に供養のため地蔵と五輪塔が建てられたといい、今でも二ノ坪の集落に「柿ノ木地蔵」として丁重に祀られています。


目次
  1. 柿の木地蔵の概要
  2. 柿の木地蔵へのアクセス
  3. 義民伝承の内容と背景
  4. 参考文献



柿の木地蔵へのアクセス

注意
文中に特定の場所の緯度・経度が記載されている場合は、検索ボックス内に値(例えば「35.689634, 139.692101」)をコピーして検索ボタンをクリックすれば、該当する場所の地図(Googleマップ)が表示されます。

名称

柿の木地蔵 [参考リンク]

場所

兵庫県丹波篠山市二之坪地内
(この地図の緯度・経度:35.07945, 135.32520)

備考

「柿の木地蔵」は、国道173号から二ノ坪公民館に至る狭い道路沿いに生えた柿の木の根元にありますが、国道からの入口には特に看板などはありませんので注意が必要です。
地蔵堂のなかには新しい地蔵の石仏と「二ノ坪の霊地におわします地蔵 不思議の利益あらわれるなり」の石柱が建っています。
また、地蔵の台座に簡単な由来が記されているほか、堂の左脇には古い五輪塔の残骸が数基残っています。



義民伝承の内容と背景

元和7年(1621)、松平忠国治世下の篠山藩では、米が不作となったため、柿などの生木物を代わりに上納するよう領内に命じます。

不作のなかで唯一実った柿を取り上げられて飢餓に苦しむ村人たちを見かねた丹波国多紀郡二ノ坪村(今の兵庫県丹波篠山市)の中尾重兵衛(小野重兵衛とも)は、他の庄屋らの賛同を集め、この年の8月に京都所司代に越訴します。

江戸に召し出された重兵衛らは取調べを受け、この柿年貢は取りやめとなりましたが、重兵衛を含む頭取9人が越訴の咎により八上高城において磔に処せられました。

『多紀郷土史考』が引用する青山家旧記では、「此御代御仕置荒く、公事人(=訴訟人のこと)、小盗人等の軽罪小過も討首」とあり、松平忠国が峻厳な姿勢で臨んでいたことが伺われます。

後にその供養のため地蔵と五輪塔が建てられたといい、今でも二ノ坪の集落にある柿の木の根元には「柿の木地蔵」が丁重に祀られています。



参考文献・参考資料


リンク先のAmazonのページ下部に書誌情報(ISBNコード・著者・発行年・出版社など)が記載されています。リンクなしは稀覯本や私家本ですが、国立国会図書館で借りられる場合があります。



武士に「もの言う」百姓たち―裁判でよむ江戸時代
渡辺 尚志 (著)
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