義民のあしあと

山田藤右衛門(土神宮)


江戸時代、上総国望陀郡下新田村(今の千葉県袖ケ浦市)の里正(名主)であった山田藤右衛門は、領主の旗本・太田八十郎にたびたび年貢増徴の撤回を訴え、ついに受け入れられるものの、その身は強訴の罪をもって遠島となり、配所において亡くなりました。後に天明8年(1788)になって彼を祀る「土神宮」が建てられ、配所へと旅立った4月7日を命日に代えて祭礼が行われるようになりました。



義民伝承の内容と背景

江戸時代、上総国望陀郡下新田村(今の千葉県袖ケ浦市)には里正(名主)として山田藤右衛門がおり、隣村の飯富村との水争いを解決するなど、村人のために活躍していました。

時に領主の旗本・太田八十郎は年貢増徴を計画しますが、厳しい取り立てに疲弊する村人たちのことを慮った藤右衛門は、たびたび領主に年貢増徴の撤回を訴えます。

その結果、年貢増徴はついに撤回されるものの、藤右衛門自身は強訴の罪をもって遠島、家財は闕所となり、配所の八丈島において亡くなりました。

藤右衛門が遠島となったのは寛文13年(1673)のことともいわれますが、後に天明8年(1788)になって彼を祀る「土神宮」が建てられ、配所へと旅立った4月7日を命日に代えて祭礼が行われるようになりました。


土神宮へのアクセス

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文中に緯度・経度の記載がある場合は、値(例えば「35.689634, 139.692101」)をコピーして検索すれば、その場所の地図(Googleマップ)が表示されます。

名称

土神宮 [参考リンク]

場所

千葉県袖ケ浦市下新田994番地
(この地図の緯度・経度:35.4187, 139.996)

備考

「土神宮」は、八幡神社社殿左手の木製小祠の中に祀られており、内部の石祠表面に「土神為郷土安全」、側面に天明8年(1788)の銘が刻まれています。




参考文献

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関東地方 山田藤右衛門