義民のあしあと

岩野平左衛門(岩野平左衛門の墓)


江戸時代中期、上総国天羽郡百首村(今の千葉県富津市)を知行する旗本の秋元隼人正時朝が重税を取り立てて百姓が困窮し、百首村の名主・岩野平左衛門がこれに抗議したところ、延宝8年(1680)10月30日に処刑されてしまいます。村人は「岩平大権現」と崇めて岩野平左衛門を祀り、供養を兼ねた十夜法要を怠らず現在に至るといいます。



義民伝承の内容と背景

江戸時代中期、上総国天羽郡百首村(今の千葉県富津市)を知行する旗本の秋元隼人正時朝が重税を取り立てて百姓の困窮を招きます。

百首村の名主・岩野平左衛門がこれに抗議したところ、隼人正の怒りに触れて、延宝8年(1680)10月30日に47歳にして処刑されてしまいます。

『岩平大権現縁起』によれば、村人は「岩平大権現」と崇めて岩野平左衛門を祀り、百年忌には「寿荘院殿厳誉利善栄山大居士」の戒名が追贈されています。

岩野平左衛門の三年忌にあたる天和2年(1682)10月からは、村内安全と義民の供養を兼ねた十夜法要が始まったといい、現在も「十夜寺」と通称される松翁院の境内には、「岩野平左衛門の墓」と伝わる地蔵菩薩の石仏が残されています。


岩野平左衛門の墓へのアクセス

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名称

岩野平左衛門の墓 [参考リンク]

場所

千葉県富津市竹岡349番地1
(この地図の緯度・経度:35.2093, 139.8468)

備考

「岩野平左衛門の墓」は、松翁院(十夜寺)の正面から境内に入り、本堂へと向かう参道途中の墓地内にあります。手前に富津市教育委員会による案内板が掲げられた地蔵菩薩立像がそれです。




参考文献

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関東地方 岩野平左衛門