秩父神社は、埼玉県秩父市の式内社で、絢爛豪華な12月の例祭・秩父夜祭は「日本三大曳山祭」の一つとして多くの観光客を集めます。御祭神は宇宙開闢の神・天御中主命ほかで、関東百名山の武甲山を仰ぐ地に鎮座し、かつては妙見宮として知られていました。
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旅行先の概要
御祭神 | 八意思兼命、知知夫彦命、天御中主命、秩父宮雍仁親王 |
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所在地 | 埼玉県秩父市番場町1-3 |
交通 | 秩父鉄道「秩父駅」から徒歩約3分。西武秩父線「西武秩父駅」から徒歩約15分。 関越自動車道「花園IC」から国道140号、皆野寄居バイパス経由、車で約40分。 |
拝観料 | 無料 |
駐車場 | 境内東側、秩父鉄道「秩父駅」前から延びる道路沿いに舗装された駐車場があります。境内西側、国道299号沿いにも砕石敷の駐車場があります。いずれも無料。 |
URL | 秩父神社 |
連絡先 | 秩父神社 0494-22-0262 |
歴史・由来
秩父神社(ちちぶじんじゃ)は、埼玉県秩父市に鎮座する式内古社で、『秩父大宮妙見宮縁起』によれば、八意思兼命の十世の孫である知々夫彦命が崇神天皇の時代に知々夫国造に任じられ、允恭天皇の時代にその九世の孫である狭手男臣が遠祖を祀り、「知々夫神社」と称したことにはじまるといわれています。
中世にはこの社に仏教の妙見信仰が持ち込まれ、「秩父妙見宮」として武家の尊崇を集めました。『新編武蔵風土記稿』には、天慶の乱の折、平良文が上野国群馬郡花園村の妙見菩薩(現群馬県高崎市の妙見寺か)の加護により平将門の軍勢を難なく退けることに成功したことから、秩父に妙見宮を勧請したという話を載せていますが、そもそも平良文は将門に味方していたという説もあります。
戦国時代の永禄13年(1570)には、関東一帯を領する北条氏と争っていた武田信玄が秩父に侵攻し、社殿はことごとく焼き払われてしまいます(世に「信玄焼き」という。)が、天正20年(1592)には徳川家康の寄進により極彩色の権現造の社殿が再建されました。
秩父神社を中心として毎年12月3日に行われる例祭は「秩父夜祭」として有名であり、武甲山を望む御旅所への神幸や山車供奉が行われます。京都の祇園祭、飛騨高山祭とともに「日本三大曳山祭」のひとつとされ、国指定重要無形民俗文化財、ユネスコの無形文化遺産「山・鉾・屋台行事」でもあります。
また、近年は秩父を舞台としたテレビアニメ『あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない。』や映画『心が叫びたがってるんだ。』のヒットにより、キャラクターを描いた絵馬が秩父神社境内西側の絵馬掛けに数多く奉納されるようになりました。
車椅子で旅行するポイント
見どころ
御本殿
天正20年(1592)に徳川家康が寄進したもので、名工・左甚五郎作の「つなぎの龍」「子育ての虎」はじめ、「お元気三猿」「北辰の梟」などの極彩色の見事な彫刻が四方を取り囲んでおり、埼玉県の有形文化財に指定されている。
天神地祇社
本殿裏手にあり、全国の一の宮から御祭神を勧請した長大な珍しい社で、古くから秩父神社で祀られているもの。「天の岩戸開き」のとき、衆議をまとめて決断をした「八意思兼命」が御祭神であるためこのような形態になったといわれている。
秩父夜祭
秩父神社の例祭は「秩父夜祭」として国の重要無形民俗文化財に指定されており、京都の祇園祭、飛騨高山祭と共に「日本三大曳山祭」のひとつに数えられる。毎年12月2日に宵宮、3日に本祭が行われ、絢爛豪華な笠鉾・屋台の曳き廻し、屋台ばやし、屋台芝居などが市内各所で見られる。
■参考リンク:秩父観光なび>秩父夜祭
周辺の名所・観光スポット
秩父まつり会館
秩父神社の東向かいに立地。日本三大曳山祭りのひとつである秩父夜祭の屋台、笠鉾などを常設展示しており間近で見ることができる。春、秋の行楽シーズンには屋台ばやしの実演も行われる。
【身障者用駐車場・スロープ・トイレ(簡易オストメイト対応)・エレベーター・車椅子貸出あり】
■参考リンク:秩父まつり会館