八幡宮(豊川八幡宮)

愛知県豊川市の八幡宮は、三河国分寺の鎮守として崇敬され、創建は白鳳時代と伝えられています。三間社流造の本殿は室町時代のもので国重要文化財です。4月の八幡宮大祭では流鏑馬も行われます。一帯は国史跡三河国分寺跡として整備・保存が図られている途上にあります。

旅行先の地図

旅行先の概要

御祭神 応神天皇、宗像三女神、神功皇后
所在地 愛知県豊川市八幡町本郷16
交通 名鉄名古屋本線「国府駅」から徒歩約15分
東名高速道路「音羽蒲郡IC」から車で約10分
拝観料 無料
駐車場 境内の東側、八幡公民館前に砕石敷の無料駐車場あり
URL 豊川市>八幡宮(はちまんぐう)
連絡先 八幡宮 0533-88-3723

歴史・由来

豊川市八幡町の八幡宮は、白鳳年間(672~685)に九州の宇佐神宮から勧請されたものと伝えられ、天平13年(741)の聖武天皇による国分寺造立の詔により三河国分寺が建立されると、八幡宮はその鎮守として崇敬されたといわれています。

その国分寺は平安時代末期には荒廃していたとみられており、現在の八幡宮東側の樹叢のなかには「史跡三河国分寺跡」として塔(七重塔)の礎石などの遺構が残され、北側は今川氏に属する八幡村城が中世に築かれて改変されています。また、当時の金堂にあたる場所の付近には、永正3年(1506)になって近くの西明寺により再興された曹洞宗の新たな三河国分寺の本堂と、国重要文化財である平安時代の梵鐘を納める鐘楼が建っています。

八幡宮は『三河国内神明名帳』の筆頭に「八幡三所大菩薩大明神」と掲げられ、天文23年(1554)には戦国大名・今川義元から神領を寄進されるなど引き続き武家の守護神として崇敬されており、慶長7年(1602)にも徳川家康から朱印地150石を認められています。

八幡宮拝殿の奥に位置する本殿は、文明9年(1477)に建立された三間社流造・檜皮葺、破風板に波形の彫刻が施された建物で、室町時代の神社建築の特徴をよく表現するものとして国の重要文化財に指定されています。

八幡宮大祭は毎年4月第2土・日曜日に行われ、神楽とともに神輿の渡御があるほか、流鏑馬、奉射神事も行われており、境内東側にある射小屋には江戸時代の的中者による奉納額も掲げられています。

なお、この神社は県社であった明治時代から地名を付さない「八幡宮」を称していますが、「豊川八幡宮」あるいは「三河国府八幡宮」と呼ばれることもあり、境内を含む一帯は豊川市役所の『史跡三河国分寺跡整備基本構想』に基づき、順次保存・整備が進められる予定となっています。

車椅子で旅行するポイント

豊川八幡宮

【1】八幡宮の正面参道。ここから入ると階段があり車椅子不可。東側の入口鳥居へ迂回。

豊川八幡宮

【2】八幡宮東側、道を隔てて反対側に史跡三河国分寺跡と砕石敷の駐車場あり。

豊川八幡宮

【3】境内東側、八幡町本郷集会所わきの鳥居からは段差なく入れる。

豊川八幡宮

【4】八幡宮境内摂社前は玉砂利敷で、正面からの参道部分は平坦な石畳となっている。

豊川八幡宮

【5】八幡宮拝殿。正面の階段にはスロープが設置され賽銭箱前まで移動可。

豊川八幡宮

【6】拝殿西側は多少段差があるが、ここから重要文化財の本殿が見通せる。




八幡宮境内図

境内配置図 [凡例]
本殿 内宮 外宮 拝殿 社務所 御供所 東御門社 西御門社 招魂社 六所神社 稲荷社 的場 射小屋 参籠所 集会所 神門 (旧)三河国分寺塔跡 (現)三河国分寺本堂 山門 鐘楼 墓地 案内板 三河天平の里資料館 愛知県道377号豊川片寄線 愛知県道5号国府馬場線

移動のしやすさ ★★★★☆
バリアフリーの状況 豊川八幡宮の参道を正面から入ると階段だが、東側の駐車場から集会所脇を抜ければ段差はない。基本的に境内は平坦なので移動は容易である。最寄りの県道からは奥まった場所に位置するが、案内板が要所に設置されているので、その表示にしたがってアクセスする。境内に身障者用トイレはないが、約500メートル北東の「三河天平の里資料館」が利用できる。なお、掲載写真撮影後、拝殿にはコンクリート製で手すり付きの恒久的なスロープが新設されたとのことである。

周辺の名所・観光スポット

三河天平の里資料館

三河国分寺東方の三河国分尼寺跡史跡公園内にあるガイダンス施設。三河国府、国分寺、国分尼寺跡から出土した鬼瓦、羊型硯、墨書土器などの発掘品を展示するほか、古代三河の様子を映像により紹介している。施設にはボランティアガイドが常駐しており案内も可能。
【身障者用トイレ・駐車場・スロープあり】

■参考サイト:豊川市>三河天平の里資料館