川中島古戦場八幡社

川中島古戦場八幡社

川中島古戦場八幡社は、武田信玄と上杉謙信による第4次川中島の戦いで有名な八幡原に鎮座する八幡社で、御祭神は誉田別尊、建御名方命です。境内には信玄の築いた土塁の跡や首塚が残るほか、三太刀七太刀の像が建てられています。一帯は八幡原史跡公園として整備され、緑に包まれています。

旅行先の地図

旅行先の概要

御祭神 誉田別尊、建御名方命
所在地 長野県長野市小島田町1384-1
交通 JR長野駅からアルピコ交通バス(松代線)経由で約20分、「川中島古戦場」停留所下車。
上信越自動車道「長野IC」から車で約5分。
拝観料 無料
駐車場 県道35号沿いに八幡原史跡公園の舗装済駐車場(収容台数:136台)あり(無料)。神社へは北駐車場を利用。身障者用駐車区画あり。
URL
連絡先 八幡原史跡公園管理事務所 026-286-5526

歴史・由来

川中島古戦場八幡社は、武田信玄と上杉謙信による川中島の戦いで有名な八幡原に鎮座する八幡社で、御祭神は誉田別尊、建御名方命です。

『甲陽軍鑑』などの軍記物の記すところでは、武田信玄に仕える伝説の軍師・山本勘助が、犀川と千曲川の合流する川中島に海津城を築き、城と相対する妻女山に陣取った上杉謙信(上杉政虎)を奇襲して八幡原におびき出す「啄木鳥戦法」を用いて永禄4年(1560)の第4次川中島の戦いの火蓋が切って落とされたとされています。

江戸時代に書かれた作者不詳の『甲越信戦録』西の巻によれば、山本勘助が四神相応の要害の地に海津城を築城する際に「水除八幡宮と申を勧請」し、これが今の八幡社であるとしています。

また別の記録では、寛治年間(1087~1094)に白河上皇に仕えた源顕清(村上顕清)が信濃国に配流されたとき、この地に武門の守護神である八幡神を勧請したのが起源としています。

鳥居をくぐった先の境内左手には土塁の跡がありますが、武田信玄は第4次川中島の戦いにあたり八幡社境内に本陣を築いており、これはそのときの名残といいます。

さらに境内奥には、武田・上杉両軍で約7千人の死傷者を出したとされる激戦となった川中島の戦いでの戦死者を供養した首塚があります。

現在の社殿は昭和初期に生島足島神社から譲り受けたもので、旧社殿は現社殿前の欅の御神木の傍らにあります。

社殿脇には、川中島の戦いの際、謙信が単騎で信玄本陣を襲い小豆長光の名刀を打ち下ろし、信玄はこれを軍配で太刀を受けたという故事を伝える「三太刀七太刀」の碑や銅像、謙信を討ち漏らしたことを悔やんだ原大隅が鬱憤を晴らすために槍で突き通したといわれる「執念の岩」などがあります。

一帯は「八幡原史跡公園」として整備され、長野市立博物館が立地し、芝生や木々の緑に包まれた場所となっています。

車椅子で旅行するポイント

川中島古戦場八幡社

【1】八幡原史跡公園の駐車場から遊歩道を進む。境内参道部分も舗装済。

川中島古戦場八幡社

【2】手水舎付近。境内参道からも土塁の跡が確認できる。

川中島古戦場八幡社

【3】八幡社境内。正面が旧本殿で、その後ろに執念の岩、現社殿、授与所などがある。

川中島古戦場八幡社

【4】川中島古戦場八幡社の拝殿。正面は手すり付きの階段4段で賽銭箱は階段の上。

川中島古戦場八幡社

【5】拝殿左手には武田信玄・上杉謙信の三太刀七太刀の像がある。手前まで舗装済。

川中島古戦場八幡社

【6】公園内には長野市立博物館がある。施設方面にも平坦な遊歩道が続いている。



川中島古戦場八幡社

周辺の名所・観光スポット

八幡原史跡公園(川中島古戦場)

武田信玄と上杉謙信との間で12年にわたり5度の合戦が繰り広げられた川中島の古戦場跡を公園として整備したもの。園内には信玄が築いた土塁が残る八幡社のほか、長野市立博物館が立地し、長野盆地の歴史と生活をテーマに出土品や資料を展示しており、プラネタリウムも併設している。
【園内はほぼ平坦で身障者トイレあり。博物館も身障者トイレ・スロープ・エレベーターあり、障害者は入館無料。】

■参考リンク:長野市立博物館

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