松前神社

松前神社は、松前氏の始祖にあたる武田信廣公を祀る神社です。北海道開拓使の許可を受けて明治時代に地元で創設したもので、かつての松前城(福山城)二の丸を境内に充てており、松前城の復興天守がよく見える位置にあります。松前藩伝来の来国俊太刀ほかの御神宝を有しています。

旅行先の地図

旅行先の概要

御祭神 武田信廣公
所在地 北海道松前郡松前町字松城145
交通 道央自動車道「大沼公園IC」から車で約2時間
JR江差線「木古内駅」から函館バス(松前ターミナル行)経由で約1時間10分、「松城」停留所下車、徒歩約10分
拝観料 無料
駐車場 境内に砕石が敷かれた参拝者駐車場あり(無料)
URL 【北海道神社庁】
連絡先 松前神社社務所 01394-2-2032

歴史・由来

松前神社は、松前家の始祖にあたる武田信廣公を祀る神社で、「日本さくら名所100選」にも選ばれた松前公園一帯にあります。

明治5年(1872)、松前家では「松世祠」として武田信廣公をはじめ松前藩代々の当主を祀りますが、旧藩士らから顕彰のため神社を創建すべしとの議論が起こり、北海道開拓使の許可を受けて、明治14年(1881)、かつての松前城(福山城)二の丸を境内に充てて「松前神社」が誕生し、のち「県社」に列せられます。

武田信廣公は、松前藩主であった松前氏の始祖にあたる室町時代の武将で、若狭守護の武田信賢の子とされており、蝦夷ヶ島に渡って上ノ国の花沢館主・蠣崎季繁の客将となり、コシャマインの乱の鎮定に功績を上げたため、蠣崎季繁の娘婿として迎えられたといいます。

また、松前城は江戸幕末になってから北辺防備のために松前氏の居館である福山館を改築したもので、戊辰戦争で土方歳三に攻められて落城するものの、その遺構は戦前に国宝(現在でいう重要文化財クラス)として指定されています。

松前城は、寒冷地仕様として天守の屋根に銅板を用いたり、銃撃対策として城壁に鉄板を仕込むなどの工夫がされた珍しい建築物でしたが、戦後まもなくに町役場の火災で類焼してしまったため、国宝指定は取り消されました。

そのため、当時の建物は本丸御門、本丸表御殿玄関、旧寺町御門(阿吽寺山門)のみですが、石垣や曲輪などは比較的よく残っており、一帯は国史跡に指定され、復興天守も整備されているほか、法幢寺(ほうどうじ)などの松前氏ゆかりの寺院も周辺に多く見られます。

この寺町にある曹洞宗の法幢寺は、松前氏の菩提寺であり、境内には武田信広公はじめ4代の合葬墓、初代藩主・松前慶広公墓など歴代藩主を供養する「松前藩主松前家墓所」があるほか、讒言を受けて死罪となり、「よしいのちはめさるとも、たましゐはあめにとひ、つちにはしりて、此うらみはるけん」として藩公に祟りをなしたとされる法幢寺6世住職・柏巌峯樹和尚の、いわゆる「門松庵事件」の話なども伝わっており、江戸時代に全国を遊覧した菅江真澄の『蝦夷喧辭辯』にその記載があります。

松前神社は、松前城の復興天守がよく見える位置にあり、松前藩伝来の名刀・来国俊(らいくにとし)太刀ほかの御神宝を有しています。


車椅子で旅行するポイント

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【1】松前神社の正面。目の前が駐車場で、境内は玉砂利が敷かれ参道が拝殿までまっすぐ続いている。

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【2】境内の反対側は松前城の天守閣となっており眺望できる。

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【3】拝殿手前に石階段があるが、脇から社務所経由で移動すれば階段を迂回できる。



松前神社境内図

移動のしやすさ ★★★★☆
バリアフリーの状況 松前神社は、平坦地に鎮座しており、駐車場も目の前にあるため、正面の石階段だけを避ければ容易に移動できる。周囲には法幢寺などの寺院もあるため散策を楽しめる(ただし、坂道もあるので注意)。身障者用トイレなどは境内にはないが、松前公園や松前町役場など周辺のものを利用できる。

周辺の名所・観光スポット

松前公園

松前の街並みを一望する高台にある公園で、250種、1万本以上のサクラが植栽され、北海道ではもっとも早くサクラが開花する名所として、「日本さくら名所100選」にも選ばれている。公園一帯には復興天守が整備された「松前城」、藩政時代の街並みを再現したテーマパーク「松前藩屋敷」、法幢寺をはじめとする寺院が集まる寺町などの見どころも多い。【身障者用トイレあり】

■参考リンク:北海道松前藩観光奉行 ~情報かわら版~ 松前公園

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