玉﨑神社

玉﨑神社は、千葉県旭市にある神社で、日本武尊東征の際、玉ヶ崎(龍王岬)に海神の娘である玉依姫を祀ったのがはじまりとされ、「玉崎大明神」と呼ばれ信仰されてきました。本殿や拝殿は九十九里浜での漁業が盛んだった江戸時代のもので、千葉県の有形文化財として指定されています。また国学者の平田篤胤も参拝し、後に門人らによって本殿裏に歌碑が建てられています。

旅行先の地図

旅行先の概要

御祭神 玉依比売命、日本武尊
所在地 千葉県旭市飯岡2126-1
交通 銚子連絡道路「横芝光IC」から車で約40分
JR総武本線「旭駅」から千葉交通バス(イオンモール銚子行き)経由で約22分、「玉崎神社」停留所下車
JR総武本線「飯岡駅」から旭市コミュニティバス(塙・上永井・旭中央病院線または飯岡地区循環(保健・福祉センター))経由で約13分、「玉崎神社」停留所下車
拝観料 無料
駐車場 境内東側に舗装済みの無料駐車場(普通車10台)あり
URL
連絡先 玉﨑神社 0479-63-1260


歴史・由来

玉﨑神社は、千葉県旭市にある神社で、景行天皇の御代に創建されたと伝えられています。

日本武尊が東征の際に相模国で海難に遭い、妃の弟橘媛が入水して海神の怒りを鎮め、無事に対岸の上総国まで辿り着いたことから、ここから下総国の玉の浦(九十九里浜)に来たときに、海上安穏と蝦夷平定を祈念して、玉ヶ崎(龍王岬)に海神の娘である玉依姫を祀ったのがはじまりです。

以来「玉ヶ崎大明神」「玉の浦総社」と呼ばれ、源義家が宝剣を奉納するなど武家にも篤く信仰されてきましたが、天文2年(1533)に龍王岬の侵食がはげしく現在地に遷座し、永禄年間には里見氏と後北条氏との戦乱に巻き込まれた隣国の上総国一宮の玉前神社の宮司が神宝を奉じて疎開してきたともいわれます。

一般に下総国二宮は千葉県船橋市の二宮神社または千葉市の寒川神社が該当するとされていますが、中世に成立した『神道集』の「香取大明神事」の項目では、香取神宮を下総国一宮として、この玉﨑神社が下総国二宮である旨が書かれています。

江戸時代に入ると、特に中期以降は玉﨑神社のお膝元にあたる九十九里浜がイワシ漁と干鰯(魚肥)加工で繁栄したことから寄進なども相次ぎ、元禄時代に建てられた一間社流造の本殿、海上郡三川(さんがわ)村(現旭市)の名工・石田丹治栄貞の龍の彫刻がある嘉永年間の拝殿はともに千葉県の有形文化財に指定されています。

また、国学者の平田篤胤は文化12年(1815)に鹿島神宮香取神宮息栖神社のいわゆる「東国三社」とあわせて周辺の猿田神社や玉﨑神社などを参拝し、この旅のなかで「天之石笛」と称する霊石を見つけて私塾の名前を「気吹舎」に改めるなどしており、その経緯は銚子の門人たちが書いた『天石笛之記』に詳しいほか、本殿裏の石塁(旭市指定史跡)上にあった御神木の跡には篤胤の歌碑も建てられています。

車椅子で旅行するポイント

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【1】玉崎神社の正面鳥居。車道との擦り付け部分が低い段差になっているが、右手は駐車場で舗装され平坦。

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【2】駐車場は拝殿のすぐ脇までの奥行きがある。ただし幼稚園が隣接しているので子供に注意。

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【3】玉崎神社の拝殿付近。賽銭箱前に2段の段差がある程度で、右手の駐車場からもごく近い。参道部分は石畳になっている。

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【4】拝殿奥には石塁、さらに奥へ行くと厳島神社や助五郎稲荷などの境内社があるが、砂地に近く車椅子には適さない。




玉崎神社境内図

境内配置図 [凡例]
本殿 拝殿 手水舎 石塁:「飯岡の寄り石」と呼ばれる海辺に堆積した凝灰岩の丸石を積んだもので17世紀中期の築造。旭市史跡。 平田篤胤歌碑:平田篤胤参拝時に存在していた楠と松が合体した御神木(夫婦木)が大風で倒木、その跡に門人らが建立。養子の平田鐵胤が揮毫。 厳島神社 助五郎稲荷神社 金毘羅神社 招魂社 天の石笛:享保年間に漁師の網にかかり奉納された飯岡石で開いた穴に風が吹き込むと音がする。漁師らは音により出漁を占ったという。旭市天然記念物。 御神木 社務所 八重垣神社 三峯神社 大漁稲荷神社 慰霊碑 玉前神社附属飯岡幼稚園 宮司宅 玉崎神社バス停 道の駅季楽里あさひ 飯岡漁港


移動のしやすさ ★★★☆☆
バリアフリーの状況 玉崎神社には特にバリアフリーの設備があるわけではないが、境内右手が舗装された駐車場になっていて、その隣がすぐ社殿という配置なので参拝はしやすい。社殿裏手の石塁も駐車場付近から遠目に見える。多少距離があるが6キロ北西に「道の駅季楽里あさひ」があり、レストラン、直売所、オストメイト対応の多目的トイレなどを備えている。

周辺の名所・観光スポット

大原幽学記念館

大原幽学記念館は、江戸後期の農政学者・大原幽学に関連した資料などを展示・公開する施設として平成8年(1996)に大原幽学遺跡史跡公園内に開館したもの。旧宅・墓・宅地耕地地割は国史跡、資料は一括して国重要文化財の指定を受けている。大原幽学は武士の出で、天保6年(1835)、放浪の末に長部村(現旭市)の名主・遠藤伊兵衛の招きに応じ、世界初の農業協同組合といわれる「先祖株組合」の創設や耕地整理、正条植の導入などで荒れた農村の復興に当たった。講堂として「改心楼」を建てて多数の庶民に「性学(性理学)」の教えを広めるも、関東取締出役の手先の博徒乱入事件を機に当局の疑念を招いて勘定奉行の取調を受け、安政5年(1858)に墓地で切腹している。
【公園駐車場からは移動困難につき裏手から車で記念館前まで進入可。エレベーター・身障者トイレあり。障害者は入館料免除】

■参考リンク:大原幽学記念館