吉田神社

吉田神社

吉田神社は、茨城県水戸市にある式内社で、常陸国三宮にあたります。日本武尊が東征の際に兵を休ませたという朝日山の地に社殿を建てたのがはじまりとされ、古くから朝廷や武家の崇敬を集めており、水戸藩2代藩主の徳川光圀も社殿を造営しています。境内は市街地を望む高台にあり、「吉田神社の見晴台」の名称で「茨城百景」の一つに選定されています。

旅行先の地図

旅行先の概要

御祭神 日本武尊
所在地 茨城県水戸市宮内町3193-2
交通 JR・鹿島臨海鉄道「水戸駅」から関東鉄道バス(台町または吉沢車庫方面)経由で約10分、「吉田神社前」停留所下車
北関東自動車道「水戸南IC」から車で約15分
拝観料 無料
駐車場 境内に砕石を敷いた無料駐車場あり
URL
連絡先 吉田神社 029-247-6464

歴史・由来

吉田神社は、茨城県水戸市にある神社で、延喜式内名神大社、常陸国三の宮にあたり、鎌倉時代や室町時代の文書にも「第三之鎮主」「第三社」といった称号がみられます。

創建年代は不詳ですが、正安4年(1301)の社家文書に「御垂跡以来八百歳」とあることから逆算して、古代の顕宗天皇・仁賢天皇のころとみられています。

景行天皇の時代、日本武尊が東征から凱旋をする途中、朝日山と呼ばれたこの場所で兵を休ませたことから、後に日本武尊を祀る社殿が建てられたのがはじまりとされています。今でも境内には「三角山」と呼ばれる一角があり、日本武尊が休憩をした神聖な場所として区画されています。

古くから朝廷や武家の崇敬を集めており、六国史の一つ『続日本後紀』の承和13年(846)に早くも神階授与の記事がみえ、『日本三代実録』貞観11年(869)の「新羅海賊。乗艦二艘。来博多津。掠奪豊前国年貢絹綿。」にはじまる新羅の入寇に際しては、同14年、勅命により朝鮮半島からやってくる海賊撃退の祈願を行うとともに、修理料を賜ったことが吉田神社文書に記されています。

また、伊勢神宮の式年遷宮は現在も行われていますが、吉田神社でも常陸国一宮の鹿島神宮と同様に、長寛元年(1163)以前から20年ごとに1度の造替が決まりになっていたことがうかがわれるほか、中世には周辺の吉田郷に広大な荘園を有して勢力を誇っていました。

戦国時代の元亀元年(1570)、水戸城主・江戸重通が元服の祝いに太刀を寄進、天正4年(1576)には大宮司・田所清恒が誠仁親王(後陽成天皇の父)染筆の「第三宮」の扁額を賜り、江戸時代に入ってからも慶安元年(1648)に3代将軍・徳川家光から神戸15石と「吉田宮印」の朱印を下されています。

水戸藩でも吉田神社の祭祀を重んじ、2代藩主・徳川光圀は旧式に則って本殿から末社に至るまでの社殿を造営し、寛文8年(1668)に正遷宮の式を行ったほか、その後も神宝の奉納や古文書の修理、古印の改鋳、参道の新設などをしています。9代藩主・徳川斉昭は天保15年(1844)に田地100石とともに『大日本史』を寄進し、「茨城郡の総鎮守」に定めたと伝えられています。

少なくとも江戸時代から続いている吉田神社の例祭は、毎年10月15日に近い金・土・日曜日に行われており、7台の山車や台町の「ささら」(山車の上で獅子舞をする)が登場し、那珂川べりまで神輿行列の渡御があります。また、神社境内は水戸の市街地を望む高台にあり、「吉田神社の見晴台」の名称で「茨城百景」のひとつにもなっています。

車椅子で旅行するポイント

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【1】吉田神社の表参道は石段につき、看板に従い県道から向かって左の脇道に入る。

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【2】脇道には「自動車参道入口」の看板があるので、ここから自動車で指示のとおり進む。

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【3】自動車参道を進むと三角山の裏手から砕石を敷いた境内駐車場に突き当たる。

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【4】随神門から石畳の参道を通って拝殿前に出られる。社殿の周囲は玉砂利が敷かれている。



吉田神社境内図

境内配置図 [凡例]
吉田神社 茨城県土地改良事業団体連合会 西参道 自動車参道 表参道 茨城県道180号長岡水戸線 国道51号 国道50号 「自動車参道入口」看板 三角山(日本武尊御旧蹟) 参集殿 トイレ 手水舎 神馬舎 吉田天満宮 星宮神社 土師神社・稲荷神社 豊受大神宮・皇大神宮 随神門 拝殿 幣殿 本殿 神楽殿 社務所 縁結びの笹:水戸光圀お手植えの笹で利き手と反対の手で笹を結ぶと願いが叶うという。 水戸神社・飯神社 早歳神社・国見神社 末社(疱瘡守護神社・大國主事代主神社・八幡宮・住吉神社・多賀神社・松尾神社)

移動のしやすさ ★★★★☆
バリアフリーの状況
吉田神社は県道側の表参道、土地改良事業団体連合会側の西参道ともに石段のため、看板にしたがって表参道から迂回し、自動車参道へと進むのがよい。自動車参道の先には砕石が敷かれた大きな駐車場があり、表参道とも合流する。境内の参道はコンクリートや石畳で舗装され、他は玉砂利が敷かれているが、おおむね平坦地で移動はしやすい。

周辺の名所・観光スポット

弘道館

「弘道館」は、水戸藩9代藩主・徳川斉昭が天保12年(1841)に創設した水戸藩の藩校です。「忠孝二无く、文武岐れず」という建学の精神を記した「弘道館記碑」にあるとおり、文館と武館が設けられ、藩士の師弟らに対してさまざまな学問の教育が行われました。当時としては日本最大級の藩校であり、会沢正志斎が初代の教授頭取となり、水戸学の中心として発展しました。
弘道館は明治初年の天狗党・諸生党による「弘道館戦争」の結果、正門と正庁、そして最後の将軍徳川慶喜が一時期謹慎した至善堂の建物を残して焼失していますが、これらの建物は現在では国の重要文化財に指定されているほか、旧弘道館として全体が国の特別史跡に指定されています。
かつての水戸城二の丸に位置し、歴史書『大日本史』の編纂を行っていた水戸彰考館の跡地には「二の丸展示館」もオープンしており、水戸城跡から出土した瓦や陶磁器、水戸城の復元模型、『大日本史』の刊本などが展示されています。
【二の丸展示館や弘道館公園内は車椅子可。弘道館の建物(有料エリア)見学も可能だが、入口の段差に係員の補助、館内用車椅子への移乗などが必要となる。有料エリアは大人200円だが障害者手帳所持者と介助者1名は免除。】

■参考リンク:観光いばらき>弘道館

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