江戸崎不動院

寺院
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江戸崎不動院は、茨城県稲敷市にある天台宗の寺院です。平安時代に慈覚大師が開山したと伝えられますが、特に江戸時代初期の幕府において絶大な力を振るった天海僧正が随風と名乗っていた頃、江戸崎城主・芦名盛重の招きに応じて住職を務めていた寺院として知られています。江戸時代には天台宗の学問所である「関東八檀林」の一つが置かれ、多くの塔頭や末寺を抱えていました。現在も境内には関東最大級とされる仁王門が残ります。

旅行先の地図

旅行先の概要

御本尊 不動明王
所在地 茨城県稲敷市江戸崎2617
交通 首都圏中央連絡自動車道「稲敷IC」車で約5分
拝観料 無料
駐車場 境内裏手に駐車可能なスペースあり
URL
連絡先 醫王山不動院 029-892-2209

歴史・由来

江戸崎不動院は、茨城県稲敷市にある天台宗の寺院で、山号・寺号は「医王山東光寺」です。

平安時代の嘉祥元年(848)、慈覚大師円仁の開山と伝えられ、室町時代の文明2年(1470)に幸誉法印が中興しており、以後も江戸崎城主の土岐原氏や蘆名氏の庇護を受けています。

特に、常陸国の戦国大名・佐竹義重の子にあたる蘆名盛重が江戸崎城主だった天正19年(1591)、当時は随風と名乗っていた、後の天海僧正を住職に迎えたことでも知られています。

天海僧正も蘆名氏の出身といわれ、徳川家康の側近として力を振るい、日光山や寛永寺の貫主を務めたほか、方広寺鐘銘事件や東照大権現の神号決定などにも深く関与したとされています。

こうした経緯もあって、江戸時代には朱印地250石、寺内に5つの塔頭を持ち、末寺は114か寺を数える大寺院として栄え、埼玉県川越市の中院などとともに、天台宗の学問所にあたる「関東八檀林」(関東天台八檀林)のひとつが置かれていました。

当時の建物は明治時代の火災によって大部分が焼失していますが、関東最大級の規模とされる仁王門を始め、板碑、手水鉢、灯籠、宝筺印塔などが残るほか、寺宝として狩野探幽筆の「天海大僧正画像」を伝えています。

また、近年では毎年2月上旬から3月3日にかけて、江戸崎商店街の交流施設「えどさき笑遊館」をメイン会場にした「江戸崎の雛まつり」のイベントが開催されており、この期間中、江戸崎不動院仁王門からの通称「長寿坂」には多数の雛飾りが並びます。

車椅子で旅行するポイント

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【1】仁王門経由の参道は石段のため、江戸崎中学校に向かう坂道を自動車で登り、寺号標で右折する。

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【2】本堂に至る参道にはまた石段があるので、さらに北側にまで迂回する。

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【3】稲荷社向かいの倉庫脇にコンクリート舗装された道路があるので、ここから自動車で乗り入れる。

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【4】舗装路は江戸崎不動院の本堂裏まで続き、ここで降りれば本堂正面に向かう手すり付きスロープもある。

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【5】江戸崎不動院の本堂。参道部分は舗装されているが、この堂の周囲だけ1段ほど高くなっている。




江戸崎不動院境内図

境内配置図 [凡例]
祈願殿(本堂) 本佛殿(回向堂) 庫裡 稲荷堂 永代供養廟 トイレ 仁王門 宝篋印塔 灯篭 手水鉢 板碑 寺号標 長寿坂 墓地 石祠 稲荷社 市街地 稲敷市立江戸崎中学校

移動のしやすさ ★★★★☆
バリアフリーの状況 江戸崎不動院の仁王門からのルート(長寿坂)は石段なので、押ボタン式信号機がある「江戸崎中入口」交差点からの坂道を自動車で登り、途中の寺号標を目印に境内へと向かう。こちらも正面は石段なので、本堂裏手に至るコンクリート舗装路に迂回をすれば、容易にアクセスすることができる。裏手から正面に至る手すり付きスロープがある。

周辺の名所・観光スポット

牛久大仏

「牛久大仏」は、茨城県牛久市に造立された大仏で、台座までをあわせた全高は120メートルほどと、ブロンズ立像としては世界最大の規模を誇っています。ギネスブックにも登録された大仏の内部には展望台があり、天候次第では富士山までが見渡せるほか、大仏の下は浄土庭園として、芝桜やナデシコ、ポピー、コスモスなどの季節の花が彩る空間となっています。
【身障者用駐車場・トイレ・駐車場・エレベーター・車椅子貸出・入場料減免あり】

■参考リンク:牛久大仏