法泉寺

法泉寺(ほうせんじ)は、山梨県甲府市にある臨済宗の寺院で、「甲府五山」のひとつでもあります。南北朝時代に甲斐国守護・武田信武が創建したといい、甲斐武田氏滅亡時の当主・武田勝頼の墓所があります。夢窓国師坐像、勝頼公画像、その他武田信玄や徳川家康が発給した古文書などの寺宝を多く抱えています。

旅行先の地図

旅行先の概要

御本尊 弥勒菩薩
所在地 山梨県甲府市和田町2595
交通 中央自動車道「甲府昭和IC」から車で約20分
拝観料 無料
駐車場 境内に砕石が敷かれた無料駐車場あり
URL
連絡先 金剛福聚山法泉禅寺 055-252-6128

歴史・由来

法泉寺(ほうせんじ)は、山梨県甲府市にある臨済宗妙心寺派の寺院です。

南北朝時代の元徳2年(1330)、甲斐国守護の武田家第7代当主・武田信武が開基となり、夢窓疎石の高弟であった月舟周勲を招いて創建しましたが、戦国時代までに衰微していたものとみられます。

その後、甲斐武田氏第19代当主の武田晴信(武田信玄)により、京都や鎌倉に倣った禅宗寺院の寺格として「甲府五山」の制度が創設されると、法泉寺は東光寺、能成寺、長禅寺、円光院とともにそのひとつに列せられ、寺領の寄進や堂宇の修理が行われて再び栄えるようになります。

次の第20代当主・武田勝頼も境内での禁制を敷くなどして法泉寺を庇護しますが、織田・徳川連合軍の甲州征伐により追い詰められ、天正10年(1582)に天目山で主従そろって自刃し、ここに甲斐武田氏は滅亡を迎えます。

織田信長の右筆であった太田牛一の『信長公記』によれば、武田勝頼の首級は浪合(長野県下伊那郡阿智村)に着陣していた織田信長による首実検を経て飯田に晒され、さらに京都に送られて獄門に懸けられたといいます。

武田勝頼の首級は、「心頭滅却すれば火もまた涼し」で知られる甲斐恵林寺の快川紹喜にも師事していた京都妙心寺の南化玄興の尽力により、織田信長から妙心寺に下げ渡されたため、妙心寺で葬儀が執り行われますが、法泉寺住職の快岳宗悦はそこに参列して歯髪の一部をもらい受け(武田勝頼の首級そのものを密かにもらい受け、織田家にみつからないようにゴボウの俵に隠したという「首級牛蒡」の伝説もある)、甲斐国に持ち帰って法泉寺境内に埋葬します。

法泉寺は、武田氏にかわって甲斐国を支配することになった徳川家康からも、朱印状をもらうなどして寺領を認められ、ひきつづき勝頼公菩提寺として近世以降に至ります。(他にも武田勝頼の墓所・供養塔としては、最期の地である天童山景徳院、葬儀が行われた妙心寺(玉鳳院)および高野山奥之院がある。)

このような歴史をもつ法泉寺には、夢窓疎石が作庭したという庭園の遺構が本堂裏手に一部残るほか、夢窓国師坐像、勝頼公画像、その他武田信玄や徳川家康が発給した古文書などの寺宝も多く抱えています。

車椅子で旅行するポイント

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【1】法泉寺近くにある山梨県営緑が丘体育館。バリアフリー施設で身障者用トイレや身障者用駐車場がある。

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【2】法泉寺界隈は宅地化され経路がわかりにくいので途中の電柱看板などにしたがって移動する。

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【3】法泉寺正面の鐘楼門。ここから入ると本堂まで階段となるので、向かって左側の車道に迂回する。

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【4】鐘楼門の左側には駐車場入口の看板があり、ここから車両で本堂下の駐車場まで行ける。

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【5】法泉寺の本堂付近。周囲は玉砂利が敷かれており、自動車でもいちおうこの高さまで乗り入れは可能。

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【6】本堂裏手、経蔵と墓地入口。墓地に入るには階段となるが、階段を登った正面が武田勝頼墓所なので下からでも見える。



法泉寺境内図

移動のしやすさ ★★★★☆
バリアフリーの状況 法泉寺に特別な設備はないが、現在の境内はそれほど大きくはなく、自動車で本堂近くまで直接乗り入れできるので、階段がある経路を迂回すれば、移動にあたっての大きな支障はない。車いすユーザー用のトイレについては、150~250メートル程度の至近距離にある緑が丘スポーツ公園の体育館、スポーツ会館が利用できるので便利である。

周辺の名所・観光スポット

石和温泉

山梨県笛吹市にある山梨県下最大規模の温泉街。開湯自体は戦後のことと比較的新しく、ぶどう園から湧きだした「青空温泉」が起源。泉質は無色無臭のアルカリ性単純泉。周辺に史跡、観光農園、レジャー施設など多数が点在している。【バリアフリー宿泊施設あり】

■参考リンク:山梨県 石和温泉旅館協同組合 ホームページ