鮭延寺

鮭延寺(けいえんじ)は、茨城県古河市にある曹洞宗の寺院で、戦国武将の一人として知られる鮭延秀綱の菩提を弔うために創建されたものです。江戸時代に入り、山形藩の内紛により最上家が改易されると、家老だった鮭延秀綱は土井利勝のもとに預けられますが、その際食禄のすべてを家臣に分け与え、自身は家臣の家を転々としたという逸話が残っています。境内にはそのほか江戸時代の陽明学者である熊沢蕃山の墓も残されています。

旅行先の地図

旅行先の概要

御本尊 釈迦如来
所在地 茨城県古河市大堤1037
交通 首都圏中央連絡自動車道「境古河IC」から車で約20分
拝観料 無料
駐車場 境内に舗装済みの駐車場、門前に砕石敷の駐車場あり(無料)
URL
連絡先 鮭延寺 0280-32-6905


歴史・由来

鮭延寺(けいえんじ)は、茨城県古河市にある曹洞宗の寺院で、戦国武将の一人として知られる鮭延秀綱の菩提を弔うため、永平寺の鉄面癡頑禅師を開山と仰ぎ、江戸時代初期に創建されたものです。

鮭延秀綱はもとは出羽国鮭延城(真室城)主で、はじめ横手城主の小野寺義道に、のち山形城主の最上義光に敗れて以降は最上家に従います。特に「関ヶ原の戦い」に連動した「慶長出羽合戦」において、上杉方の大将・直江兼続が率いる大軍に長谷堂城が包囲された際の奮戦ぶりが『奥羽永慶軍記』などに伝わっています。

江戸時代に入り、「最上騒動」と呼ばれる山形藩の内紛により最上家が改易されると、家老だった鮭延秀綱は、幕府の老中である下総国佐倉藩主・土井利勝のもとにお預けとなり、赦されてからは土井家に仕えます。

その際、土井家から与えられた食禄のすべてを山形から付き従ってきた家臣に分け与え、自身は日ごとに家臣の家を転々として回ったという逸話を『古今武家盛衰記』は伝えています。

土井利勝の転封により鮭延秀綱も下総国古河藩に移り、正保3年(1646)にこの地で病死したため、もとの家臣らが恩義を感じて一寺を建てたのが現在の「鮭延寺」であり、境内には鮭延秀綱の墓も残っています。なお、鮭延家の菩提寺である山形県最上郡真室川町の正源寺にも鮭延秀綱の墓があります。

鮭延寺の境内には、江戸時代前期に活躍した陽明学者・熊沢蕃山の墓も営まれています。熊沢蕃山は中江藤樹に学び、岡山藩に仕えて治水・治山による食糧増産に貢献しますが、著書の『大学或問』で幕政を批判したとして下総国古河藩主・松平忠之に預けられ、古河城内への幽閉中に亡くなります。

熊沢蕃山は当時の古河城主・松平忠之によって鮭延寺に葬られますが、現在の境内にある墓碑は文化年間(1804~1818)に再建されたもので、茨城県の史跡として指定されています。

車椅子で旅行するポイント

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【1】国道沿いの寺号標から鮭延寺に進むと左右に砕石を敷いた駐車場があり、正面が境内になっている。

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【2】鮭延寺の境内は舗装され駐車可能になっており、左手奥に墓地への参道がある。

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【3】熊沢蕃山の墓付近。墓地内の参道はコンクリート舗装され平坦である。




鮭延寺境内図

境内配置図 [凡例]
本堂 庫裡 トイレ 水屋 鮭延秀綱の墓 熊沢蕃山の墓 寺号標 大堤新田集会所 国道4号 国道354号 大堤交差点 つくば市 宇都宮市 高崎市 東京都

移動のしやすさ ★★★★☆
バリアフリーの状況 鮭延寺の境内はそれほど広くはなく、門を入ればすぐにアスファルト舗装された駐車場となっており、本堂は目の前にある。墓地へ至る参道もコンクリート舗装で意外と幅員が広い。境内に身障者トイレはないが、国道4号大堤交差点のすぐ北にあるニトリ、ベイシアなどの大型店舗に併設されているものを利用するとよい。

周辺の名所・観光スポット

古河公方公園(古河総合公園)

「古河公方公園(古河総合公園)」とは、茨城県古河市にある面積22.4ヘクタールの都市公園で、室町時代に足利成氏が築いたかつての古河公方館跡が中心となっています。
園内には茨城県史跡の古河公方・足利義氏の墓が残るほか、干拓された御所沼の一部が復元されています。
また、芝生広場や遊具広場、民家園、花菖蒲田、蓮池などが整備されており、特に2000本ほどの花桃が植栽された桃林は、江戸幕府の老中で古河城主だった土井利勝が桃栽培を奨励した故事にちなむものです。
【身障者駐車場・トイレ・スロープあり】

■参考リンク:古河公方公園(古河総合公園)公式サイト