根来寺

寺院

根来寺(ねごろじ)は、和歌山県岩出市にある覚鑁開山の寺院で、中世には根来衆とよばれる僧兵1万人を擁する一大宗教都市が築かれましたが、豊臣秀吉の焼き討ちに遭い没落しました。境内の「大塔」と称する国内最大の多宝塔は国宝に指定されています。現在は新義真言宗の総本山となっています。

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旅行先の地図

旅行先の概要

御本尊 大日如来
所在地 和歌山県岩出市根来2286
交通 JR阪和線「和泉砂川駅」から南海ウイングバス(岩出樽井線「岩出駅前」行き)経由で約10分、「根来寺」停留所下車
「根来寺」下車
阪和自動車道「泉南IC」から車で約20分
拝観料 境内無料
ただし、大塔・大師堂・大伝法堂・名勝庭園(共通)は拝観料として大人(中学生以上)500円、小人無料【障害者手帳保持者は無料】
駐車場 境内入口に砕石敷の無料駐車場あり
URL
連絡先 根来寺寺務所 0736-62-1144

歴史・由来

和歌山県岩出市にある新義真言宗の総本山とされる寺院です。

平安時代後期の大治5年(1130)、空海以来の才とうたわれた覚鑁(かくばん)が高野山内に開いた大伝法院が始まりとされます。

覚鑁は大伝法院の座主として堕落した高野山の状況を改めようとしますが、刺客に狙われた上に高野山を追放され、当時大伝法院の荘園の一つであった根来の地に落ち延びました。この事件の直前、覚鑁は3年あまりに及ぶ無言の行を修したのち、『密厳院発露懺悔文』という宗教家としての自戒の文章を認めています。

この根来寺は、中世の最盛期には寺領50石ないし70石を有し、根来衆とよばれる僧兵(行人)1万人を抱える一大宗教都市を形成しており、僧衆による鉄砲隊も組織されて、本願寺との石山合戦の際には織田信長に味方するなどして活躍しています。

しかしながら、近隣の雑賀衆とともに羽柴秀吉とは敵対したため、天正13年(1585)にはその焼き討ちに遭って(または自焼)堂宇のほとんどを失いましたが、江戸時代には徳川家康の寄進や紀伊徳川家による堂宇の再興がありました。

境内には「大塔」と通称される、文明12年(1480)ごろから建築が始まったとみられる高さ40メートルの日本最大の多宝塔があり、国宝に指定されています。

車椅子で旅行するポイント

根来寺

【1】市道からの無料駐車場入口に看板あり。さらに先の民俗資料館前の舗装路からも駐車場に入れる。駐車場は砕石敷。

根来寺

【2】駐車場奥、不動堂入口付近に身障者用トイレあり。なお、駐車場内の別のトイレ棟には身障者用設備なし。また、岩出市民俗資料館内にも同様に身障者用トイレあり。

根来寺

【2-1】身障者用トイレ内部(手すり、ベビーベットあり)

根来寺

【3】駐車場から舗装路を行くと正面が大伝法堂への階段。案内板に従い左折。

根来寺

【4】大師堂、大塔、大伝法堂への入口。多少の段差はあるが介助あれば移動可。突き当たりの志納所で介助者分の拝観料を納める。身障者本人は無料。

根来寺

【5】根来寺大塔。両脇に大師堂、大伝法堂が並ぶ。敷地は芝生で通路部分は玉砂利敷。堂内に入れるが階段のため車椅子は不可。なお階段には手すりがある。

根来寺

【6】奥の院への参道。墓地の中を通る舗装路。途中軽微な段差はあるが介助があれば移動可。

根来寺

【7】根来寺奥の院。興教大師覚鑁を祀る。参道はここで行き止まり。

根来寺

【8】滝見橋を渡り本坊方面へ。境内は玉砂利敷だが平坦で門にも段差はない。

根来寺

【9】根来寺常光明真言殿(光明殿)。石畳の参道が下までのびている。右手に拝観者入口あり。スリッパに履き替えて堂内に入れる【車椅子不可】。

根来寺

【9-1】拝観者入口。手すりがあり内部(聖天堂、行者堂、光明殿、本坊庭園)に入れるが段差あり車椅子のままでは不可。



根来寺境内図

移動のしやすさ ★★★★☆
バリアフリーの状況 根来寺の境内には一部段差のある箇所や坂があるものの、舗装されている参道が割と多く、介助があれば車椅子での参拝も可能となっている。根来寺境内入口の駐車場奥及び岩出市民俗資料館内に身障者用トイレがある。ただし、堂内の拝観は車椅子のままでは難しい。

周辺の名所・観光スポット

岩出市民俗資料館

根来寺入口にある岩出市の展示施設。常設展示では「岩出市の風土と暮らしの移り変わり」をメインテーマとして、岩出の自然環境と歴史・文化について紹介している。学術調査により根来寺周辺から出土した遺物も多数展示されているほか、企画展や根来塗講座なども行っている。
【身障者用トイレ、スロープ、駐車場(2台)、車椅子貸出あり】

■参考リンク:岩出市>岩出市民俗資料館