良玄寺

良玄寺

良玄寺は、千葉県大多喜町にある浄土宗の寺院です。徳川家康の忠臣として知られる本多忠勝が大多喜城主となった後、菩提寺としてここに良信寺を建立し、了学上人を招いたのがはじまりです。関ヶ原の戦いでの功績により、本多忠勝が伊勢桑名に移封されると、大多喜城には子の本多忠朝が入りますが、大阪夏の陣で戦死したため、忠朝の法名をとって良玄寺に改められました。寺に伝来する紙本著色本多忠勝画像は千葉県指定文化財となっているほか、境内には本多忠勝・忠朝の墓地もあります。

旅行先の地図

旅行先の概要

御本尊 阿弥陀如来
所在地 千葉県夷隅郡大多喜町新丁180
交通 いすみ鉄道「大多喜駅」から徒歩約15分、または小湊鐵道バス(大多喜車庫行き)経由で約1分、「大多喜車庫」停留所下車、徒歩約3分
首都圏中央連絡自動車道「市原鶴舞IC」から車で約20分
拝観料 無料
駐車場 境内に砕石が敷かれた無料駐車場あり
URL
連絡先 現在は無住。連絡先は住職自宅につきリンク先(浄土宗ホームページ)を確認のこと。

歴史・由来

良玄寺は、千葉県大多喜町にある浄土宗の寺院です。

徳川家康の忠臣で俗に「徳川四天王」の一人として数えられる本多忠勝が大多喜城主となねと、文禄4年(1595)、下総小金(現在の千葉県松戸市)にある東漸寺から照誉了学上人を招き、寺領として100石を寄進して、城の見えるこの場所に「良信寺」を建立したのがはじまりです。この了学上人は後に芝増上寺の第17世貫主となっています。

「関ヶ原の戦い」での功績により本多忠勝が伊勢桑名に移封されると、大多喜城には次男の本多忠朝が入ります。忠朝は「大阪冬の陣」の折に深酒をして敵に敗退したことから、その名誉を挽回しようと、「大阪夏の陣」で敵将の毛利勝永の軍勢に突進して戦死し、以後は忠朝の法名をとって「良玄寺」と改められました。

寺に伝来する「紙本著色本多忠勝画像」は、金の大数珠を肩から袈裟懸けにし、迫力ある鹿角の脇立をもつ兜をかぶった黒尽くめの具足姿でよく知られたものであり、千葉県の有形文化財として指定され、現在は千葉県立中央博物館大多喜城分館に寄託されています。

また、本多忠勝が亡くなると桑名浄土寺に、忠朝は大坂一心寺に埋葬されますが、それぞれ良玄寺にも分骨されて墓が建てられ、現在も境内墓地の中央に本多忠勝、左に本多忠朝、右に忠勝の妻にあたる於久の方の五輪塔が並んでいます。

車椅子で旅行するポイント

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【1】公道から良玄寺の境内に直接入れる。境内右手が砕石敷の駐車場となっている。

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【2】境内奥の通路または外周路から忠勝公園に入ることができ、身障者用トイレを併設している。

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【3】身障者用トイレ内部

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【4】本多忠勝墓所に至る墓地内通路はコンクリート舗装されており平坦である。




良玄寺境内図

境内配置図 [凡例]
良玄寺 墓地 忠勝公園 本多忠勝・忠朝・忠勝室墓所 大円寺 莊司起くの碑 行徳橋 大多喜町特別養護老人ホーム 夷隅川フィッシングパーク 小湊バス大多喜車庫 大多喜車庫バス停 新丁交差点 千葉県道231号大多喜停車場線 案内板 三口橋碑 大多喜駅

移動のしやすさ ★★★★☆
バリアフリーの状況
良玄寺境内には平成9年再建の本堂がある程度で、周囲には特に移動の支障になるものはない。砕石が敷かれた駐車場は公道に直接面している。境内奥または外周路から忠勝公園に入ると身障者用トイレがある。墓地内の本多忠勝墓所に至る通路もコンクリート舗装されていて平坦である。ただし、県道沿いの案内板は小さめで、入口がわかりにくいので注意のこと。

周辺の名所・観光スポット

大多喜城

「大多喜城」は、室町時代に武田真里谷氏が築いたとされる城郭で、当初は「小田喜城」と呼ばれていましたが、天正18年(1590)に本多忠勝が城主となると大改修が行われ、あわせて城下町の整備も進みました。現在は本丸跡に「千葉県立中央博物館大多喜城分館」が建てられていますが、3層4階の鉄筋コンクリート造でかつての大多喜城の天守を再現しています(ただし、天守はなかったとする説もある)。博物館内には武具、古文書をはじめとして、房総地方の城郭の歴史や城下町での生活に関わる資料を展示しています。
【身障者は本丸まで自動車で進入して身障者用駐車場への駐車が可能。身障者用トイレあり。ただし、館内は階段のため外観のみ。】

■参考リンク:千葉県立中央博物館大多喜城分館

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