築地本願寺

寺院
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築地本願寺は、東京都中央区の築地市場近くにある西本願寺の直轄寺院で、江戸時代に江戸湾を埋め立てて建立されたものです。本堂は関東大震災のときに焼失したため、戦前に文化勲章受章者・伊東忠太の設計により古代インド様式で再建されており、現在では国の重要文化財に指定されています。

旅行先の地図

旅行先の概要

御本尊 阿弥陀如来
所在地 東京都中央区築地3-15-1
交通 東京メトロ日比谷線「築地駅」から徒歩約1分
首都高速都心環状線「銀座出入口」から車で約5分
拝観料 無料
駐車場 境内に舗装された無料駐車場(90台)あり。本堂入口左右に身障者用駐車区画あり
URL
連絡先 築地本願寺 03-3541-1131

歴史・由来

築地本願寺は、東京都中央区の築地市場近くにある浄土真宗本願寺派(西本願寺)の直轄寺院で、浄土真宗本願寺派の門主がこの寺院の住職を兼ねています。

築地本願寺は、もともとは江戸時代初期の元和3年(1617)、京都にある西本願寺の別院として、准如上人により江戸・浅草に創建されたものです。

しかし、明暦3年(1657)に発生した「明暦の大火」(いわゆる「振袖火事」)によって本堂を焼失し、江戸幕府から当初の場所に代えて八丁堀地先の海岸が与えられたため、佃島門徒衆が中心となり、延宝7年(1679)、護岸を築いて江戸湾を埋め立てて再建されたのが、現在の築地本願寺ということになります。

この埋め立てによって「築地」という地名が生まれ、当時は「築地御坊」と呼ばれていた築地本願寺を中心に、一帯には末寺57か寺が建ち並ぶ大規模な町並みが形成されるようになります。

大正12年(1923)に発生した関東大震災では、同時に火災が発生してふたたび本堂を焼失しますが、その後の昭和9年(1934)、東京帝国大学の伊東忠太名誉教授が設計を担当し、ストゥーパ(仏塔)のような装飾をもつ古代インド様式の鉄筋コンクリート造の本堂が再建されました。

山形県米沢市出身の伊東忠太は、築地本願寺本堂のような独特の建築物をはじめ、「近代東洋式」とされる靖国神社遊就館、そのほか平安神宮、上杉神社最乗寺高麗神社などの伝統的な建築物の設計も多く手がけており、その功績により文化勲章を受章しているほか、築地本願寺本堂の建築物も、平成26年(2014)に国の重要文化財として指定されています。

車椅子で旅行するポイント

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【1】築地本願寺の入口。都道に面し、段差はなく、自動車での進入も容易になっている。

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【2】築地本願寺の境内。本堂の周囲は舗装済みの駐車場だが、正面は階段で2階の外陣に直結している。

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【3】本堂1階車寄せの左側に身障者用駐車場とスロープが設けられている。

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【4】スロープから入ると誰でも利用できる車椅子が用意されているほか、エレベーター室などへの案内表示もある。

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【5】築地本願寺本堂内の身障者用トイレ。隣接してエレベーター室があり車椅子のまま2階外陣(参拝場所)に移動できる。



築地本願寺境内図

移動のしやすさ ★★★★★
バリアフリーの状況 築地本願寺は、身障者用駐車場、身障者用トイレ、スロープ、エレベーターなどがひととおり整備されており、車椅子での移動にも十分に対応しているため、他の神社仏閣とは違って参拝はしやすい。失礼にあたるので2階本堂外陣、内陣の写真は撮影していないが、外陣のほうは椅子で座れる平坦なフロアになっている。

周辺の名所・観光スポット

築地市場

築地本願寺近くにある東京都の卸売市場で、約23ヘクタールという広大な面積をもち、卸売業者などによって水産物や青果を中心としたせりが行われ、活況を呈しています。公設の場内市場に対して、築地場外市場とよばれる商店街が隣接し、これらをあわせて観光地としても人気があり、特に新鮮な魚介類を用いた寿司などのお店が集中しています。目下、場内市場の豊洲市場への移転をめぐる問題が生じています。
【総合案内所「ぷらっと築地」建屋内に多目的トイレあり。車椅子も移動可だが、場所によっては大混雑するので注意】

■参考リンク:築地場外市場ザ・築地市場