遊行寺

遊行寺 寺院
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遊行寺(ゆぎょうじ)は、神奈川県藤沢市にある時宗の総本山で、正式には「藤沢山無量光院清浄光寺」といいます。時宗の開祖・一遍上人からみて4代目の呑海上人が正中2年(1325)に創建しました。東海道最大級の木造本堂は国登録有形文化財となっているほか、境内には説経節で知られる小栗判官・照手姫の墓、上杉禅秀の乱の犠牲者を供養した藤沢敵御方供養塔などがあります。

旅行先の地図

旅行先の概要

御本尊 阿弥陀如来
所在地 神奈川県藤沢市西富一丁目8番1号
交通 JR東海道本線・小田急江ノ島線・江ノ島電鉄「藤沢駅」から神奈川中央交通バス(戸塚バスセンター行または大船駅西口行)経由で約4分、「藤沢橋」停留所下車
首都圏中央連絡自動車道「茅ケ崎中央IC」から車で約20分
拝観料 無料
駐車場 境内に砕石を敷いた無料駐車場あり(東門から入場)
URL
連絡先 時宗総本山遊行寺寺務所 0466-22-2063

歴史・由来

遊行寺(ゆぎょうじ)は、神奈川県藤沢市にある時宗の総本山で、正式には「藤沢山無量光院清浄光寺」といいます。

時宗の開祖である一遍上人は、当時の政治経済の中心地であった鎌倉での布教を試みるものの武士に制止されたため、鎌倉の手前の片瀬(現在の神奈川県藤沢市)で踊り念仏を修して衆生済度に当たります。
後に4代目の呑海上人が、藤沢の領主であった俣野一族の俣野景平からの寄進を受けて、正中2年(1325)に清浄光院を開いたのがこの寺院のはじまりとされています。

永正10年(1513)には伊勢宗瑞(後の北条早雲)と三浦義同(三浦道寸)との戦いでほぼ全焼しますが、同寺は三浦氏に協力していたため北条氏から再建を許されませんでした。
このため以後は本尊が駿河国長善寺はじめ諸国を流浪したり、戦国大名・佐竹義宣の庇護を受けて常陸国水戸に新たな拠点を建てて藤沢道場(後の神応寺)を称するなど、混迷の時代を迎えます。

慶長12年(1607)になって、ようやく元の藤沢の地に清浄光寺が再興され、寛永8年(1631)には江戸幕府から時宗総本山として認められます。

現在の遊行寺の本堂は関東大震災後に再建されたものですが、東海道最大級の木造本堂として国登録有形文化財となっているほか、境内には説経節で知られる小栗判官・照手姫の墓、上杉禅秀の乱の犠牲者を供養した藤沢敵御方供養塔なども残されています。

車椅子で旅行するポイント

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【1】遊行寺の惣門から境内に入る場合、いろは坂と呼ばれる階段がある坂道を通ることになるため、東門まで迂回する。

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【2】遊行寺坂の途中の東門から自動車のまま進入でき、敵味方供養塔の前が駐車場となっている。

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【3】砕石を敷いた境内駐車場の奥には多目的トイレ併設を併設したトイレ棟もある。

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【4】遊行寺境内は玉砂利が敷かれ、参道部分は石畳やアスファルトで舗装されているが、本堂に上るには石段がある。

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【5】本堂の正面向かって左手に石段を迂回するスロープがあり、本堂直下まで移動が可能。



遊行寺境内図

境内配置図 [凡例]
本堂 地蔵堂 回向堂 俣野大権現社 酒井忠重逆修六地蔵 長生院(小栗堂) 墓地 小栗判官・照手姫の墓 歴代上人御廟所 宇賀神社 鐘楼 大書院 小書院 信徒会館 放生池 中雀門 御番方 黒門 僧堂 藤嶺学園藤沢中・高等学校 遊行寺宝物館 真浄院 大銀杏 遊行茶屋 真徳寺 敵味方供養塔 東門 いろは坂 惣門 神奈川県道30号戸塚茅ヶ崎線 神奈川県道302号小袋谷藤沢線 遊行寺交差点

移動のしやすさ ★★★★☆
バリアフリーの状況 遊行寺正面の惣門からの参道はいろは坂と呼ばれる石段のある坂となっているが、遊行寺坂に面する東門に迂回すれば自動車のまま境内に入ることができ、門の脇は駐車場となっている。駐車場奥には多目的トイレもある。本堂への参道にも石段があるが、これは左手のスロープから迂回が可能。その他の場所へ行くにも参道は石畳かアスファルトで舗装されているので移動上の大きな支障はない。

周辺の名所・観光スポット

新江ノ島水族館

新江ノ島水族館は、藤沢市片瀬海岸にある水族館で、相模湾の自然を再現した8,000匹のイワシの大群が回遊する「相模湾大水槽」、幻想的な雰囲気の「クラゲファンタジーホール」、富士山と相模湾を借景にした「イルカショースタジアム」などが見どころです。また、神奈川県が設置する学習施設「なぎさの体験学習館」が併設され無料で入場できます。
【身障者用トイレ・スロープ・エレベーター・車椅子貸出あり。障害者手帳提示で本人と同伴1名まで半額。】

■参考リンク:新江ノ島水族館